2012年03月29日

NNNドキュメント マザーズ「特別養子縁組」母たちの選択

お腹の大きな女性。
綾香さん(仮名)
なんと14歳中学2年生の妊婦である。
現在妊娠9ヶ月、もうすぐ出産である。

変わってこちらは美沙さん(23歳)
も同様に妊娠している。

2人とも心から望んだ妊娠ではない。
結果、産まれ来る赤ちゃんを養子として他人に託す選択をした。

赤ちゃんの養子縁組をサポートするのは、
NPO「BABYぽけっと」主宰の岡田卓子さん。
ここでは、特別養子縁組制度を使い、
子供の欲しい家族のもとへ送り届けるという活動をしている。

通常、親が育てられない子供は児童相談所を通じて、乳児院・自動養護施設に預けられる。
そのうち10人に1人が里親のもとへ。
日本では施設で育てることを推奨してきた。
現在では民間団体や一部の児童相談所が特別養子縁組という制度を活用している。
特別養子縁組は民法の改正により24年前に始まった制度。
普通養子縁組とは違い、実の子として戸籍に登録できるのが特徴である。
育ての親が正式に実の親として登録できるのだ。

数カ月後、美沙さんは5時間かけ、女児を出産。
1週間後に退院した。
女児はその日のうちに引き取られていった。

一方、BABYぽけっとでは親になりたい人達を集めた個人面接会が行われていた。
養子縁組を支援する団体は全国で15団体。
Babyぽけっとでは年間10組以上が養子の赤ちゃんを迎える。
迎え入れる彼らのほとんどが不妊治療経験者である。
岡山でパン屋を経営する三木さん夫婦。
夫、啓靖(ひろやす)さん(42歳)、妻ななえさん(42歳)もこの個人面接会に出席した。
彼らは3年間不妊治療をしてきた後、養子を迎えるという選択をした。

数ヶ月後、2人に連絡が入った。
2人が待ち望んでいた赤ちゃん提供の連絡だ。
Babyぽけっとでは男女は選べないが、名前は付けることができる。
2人のもとに預けられる赤ちゃんは男の子だ。

赤ちゃんの親はあの中学生の綾香さんだ。
彼女が産んだのは3,512gの大きな子。

Babyぽけっとの場合、引き渡す側と渡される側、両方の情報がお互いに提供される。
日本ではめずらしい取り組みである。

赤ちゃんの名前は幸太郎くん。
三木さん夫妻が決めた名前だ。

2ヵ月後。2人は寝不足気味だが、幸太郎くんはすくすくと育っている。
「養子は隠すひつようはない」とななえさんは考えている。
周りの人々にはそのことを隠さずにしっかり伝えていくつもりだという。

「なぜ自分で育てられないのか」そんな批判もある。
しかし、この制度で小さな子供の命が救われるのはまぎれもない事実だ。


この番組を見ながら「あ!」と言ってしまった。
元親と里親の両方を紹介してしまって大丈夫なのだろうか?
通常お互いの情報は隠されるはずなのに。
この番組を見たら、お互いが知ることになってしまう・・・
しかし、後ほど
「引き渡す側と渡される側、両方の情報がお互いに提供される」と

特別養子縁組という制度を作って実の子として戸籍に登録できるのに、
わざわざお互いを知る必要があるのだろうかと疑問に思いました。
どちらにせよ子供のことを1番に考えて実行していただきたいです。

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posted by ドキュメントまにあん at 10:33| Comment(0) | NNNドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月24日

NNNドキュメント 3・11大震災シリーズ31


きっと会えるから・・・
〜大川小 遺族の1年〜

巴那(はな)ちゃん
いまだに見つからない子へ母親が手紙を書く。

石巻市立大川小学校
北上川の河口から5キロ離のところにある。
震災の日、8メートルの津波が襲った。
全校生徒108名のうち74名が犠牲になり、巴那ちゃんを含めまだ4人見つかっていない。

巴那ちゃんを失った両親。
鈴木さん夫妻。
お兄ちゃんの堅登(けんと)くんも同じ日、津波にさらわれたが8日後に見つかった。

地震のあと、大川小学校の生徒達は校庭へ一時避難をした。
津波から逃げるようにと放送があったにもかかわらず、教師たちは生徒を川のそばの三角地帯へと連れて行く。

そして津波にのまれた。
なぜ、すぐ近くにある裏山に逃げなかったのか、遺族は学校側に説明を求めた。
学校側の説明は、
・ここまでの津波を想定していなかった。
・裏山はがけ崩れの心配があった。
と説明、何度かの遺族説明会の後、人災を認め、謝罪した。

母親の携帯には震災数日前の映像が50秒だけ残っている。
そこにはピアノの発表会に向け練習する巴那ちゃんの姿。
今では宝物だ。

お盆を前に母親は巴那ちゃんの死亡届を出し、葬式をあげた。

年が変わり、母親の願いが1つ叶った。
今までは願っても1度も見ることはできなかった巴那ちゃんの夢を見た。
夢の中の巴那ちゃんは元気だった。
それ以来、毎日書いていた手紙を書かなくなった。

3月11日震災から1周年
夫婦の時計は進まない。
今日も巴那ちゃんを探し続ける。

見ていて辛い番組でした。
2人の子供を亡くした家庭がこんなに静かになるものなのか・・・
毎日巴那ちゃんを探している両親、
いつの日か見つかるのかもしれませんが、
それで両親2人の心が救われることはないでしょう。
地震と津波は人の一生をこうも簡単に変えてしまうんですね。
















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posted by ドキュメントまにあん at 08:03| Comment(0) | NNNドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月16日

NNNドキュメント 3・11大震災 シリーズ30


行くも地獄戻るも地獄
〜倉澤治雄が見た原発ゴミ〜

倉澤氏は日本テレビ解説主幹であり、今回の番組は自身の足で取材を行なっています。

まず1979にメルトダウンを引き起こしたアメリカペンシルバニア州
スリーマイルを尋ねました。
今でも原型を留める現地。
当時燃料を取り出し終わるまで10年かかったといいます。
ロボットを使い、遠隔で取り出して
3000キロ離れたところまで運ばれました。
そこは東京23区をはるかに越える広大な敷地でもし、
万が一の場合でも住民に被害が及ばないよう常に監視されています。

スリーマイル原発の取り出した燃料は「TMIパッド」と言われ、
厚さ60cmのコンクリートで囲まれた鋼鉄の容器に入っています。
あの事故からもう20年経ちました。

事故処理の中心人物を尋ねて聞いたところ、
スリーマイルでは解けた燃料は圧力容器に留まっていたからまだ10年で済んだ、
しかし、福島では3箇所で圧力容器の底を突き破り、
更には建物も水素爆発で吹き飛んでしまった。
福島の事故は非常に厳しい状態だと。

アメリカのような施設は日本にはありません。
そんな国で起きた原発事故、
その中でも4号機の使用済み燃料プールの存在は世界を震撼させました。
隙間なく詰め込まれた使用済み燃料はとても危険です。
隙間がないと核反応が起きやすいのです。

政府が真っ先に止めた浜岡原発にも同様のプールがあります。
現在、浜岡全体では6500体の燃料が保管されています。
全国に54基ある発電所の燃料の数を集計すると61000体以上。

他の国に比べ日本では燃料は長い間プールに入れられます。
隙間がないため、十分に冷却するのに多くの時間がかかるからです。

冷やした燃料は全国から青森の六ヶ所村に送られてきます。
保管可能13000体に対し9割がすでに埋まっている状態です。
日本では使用済み燃料はゴミではなく再利用できる資源として考えられているのですが、
トラブル続きで実現できていないのが現状です。

青森の六ヶ所村はあくまでも中間貯蔵施設であり、
最終処分であありません。
1985年、北海道の幌延町はかつて手を上げましたが、
知事が反対したため最終処分場にはなりませんでした。

高知東洋町でも町長が手を上げたが、選挙で落選、
更には交付金で住民の意見を釣るやりかたに知事が激怒しました。

最終処分場の理解を促し候補地を探す役割にあたる団体が「NUMO」。
天下り官僚もいる80人の団体です。
10年たっても応募がない状態が続いています。

国は根本を見直す動きに出ています。
青森=最終処分場という考えもあがったが、話し合いは堂々巡りです。

もう引き返せない・・・



原発の厳しい現状を垣間見ることができた番組でした。
今回の事故がなかったとしても近い将来、
日本のどこかで事故が起きていたと思います。
10万年以上も安全に保管できる施設なんて存在しないでしょう。
少なくとも今回の地震で日本国内では置ける場所がないのは分かったと思います。
今モンゴルで処分場を誘致する話が持ち上がっているそうですが、
現地の人にどれだけ迷惑がかかるか考えているのでしょうか?
本当に引き返せない現実にゾッとしました。

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posted by ドキュメントまにあん at 11:40| Comment(0) | NNNドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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