2012年05月04日

NNNドキュメント'12 3・11 大震災 被災地に咲いた言葉〜子供たちの思いを詩に〜

震災で被災した子供達が詩を読む。
詩を書くことを勧めたのは詩人の清岳こうさん(60歳)。

仙台市南光台東小学校
清岳さんは震災の3ヶ月後から学校を回って子供たちに詩を書かせていた。
詩を書くことで心の痛みが和らげばと考える。
子供たちも詩を書くまでは自分の心を表すことができないでいたが、
詩を書くことであの時の気持ちを思い出すことができた。
そして、言葉に表したことで心が軽くなったという。

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2012年04月25日

NNNドキュメント'12 7つの宝と生きる ALSの母と家族の3000日


長崎県平戸島
40世帯ほどが軒を連ねる小さな港町。

光代さんは夫と6人の子供、7つの宝に囲まれたお母さん。
自宅には子供帯が集まって相撲をとる土俵がある。
明るくて面倒見がいいと近所でも評判だった。
取材を始めたのは9年前の2003年。

この翌年、病の兆候が現れた。
好きなカラオケで声がでない。右手に力が入らない。
検査の結果、思いもよらない告知を受けた。
2005年9月20日、ちょうど50歳の誕生日だった。
「あなたはALSです。3年で動けなくなります」
のどが詰まり、人工呼吸器をつけるようになり、やがては死に至る。
そう聞いて光代さんは失神した。

ALS:筋肉への神経伝達がとだえ、手足・のど・舌呼吸に必要な筋肉が動かせなくなる難病
原因も治療法も見つかってはいない。


家族に迷惑をかけるくらいならいっそのこと・・・と思ったこともあった。
でも母として子供たちの成長を見守るため、このまま死ぬわけにはいけない。

2007年8月、告知から2年。
声を失っても生きていけるように人工呼吸器をつけた。
激しい痛みとともに筋肉が萎縮する。
光代さんは顔の筋肉も動かせなくなった。
母のいなくなった台所に立つのは長女の加代さん。
朝4時半に起き、お弁当を作る。
みんなが自分のできることをすすんでやってくれる。
そして家族は泣かないと決めた。一番辛いのはお母さんなのだから・・・
光代さんはわずかに残された噛む力を利用し、パソコンで文字を打つ。
画面を動くカーソルをチューブを噛むことで止め、文字を選ぶ。
1つの文字を打つのに2分以上かかることもある。
気の遠くなるほどの時間をかけて打ったメールの相手は末っ子の十有人(そうと)くん。
受験を控えた十有人くんへの励ましのメールだ。

2010年1月、告知から5年。
離れて暮らす次男と三男が帰ってきた。
母は子供たち1人1人へパソコンの画面を通してエールを送る。

2010年3月
十有人くんは第1志望に合格した。
何よりも先に母に報告した。
携帯で撮った受験番号を見せると母は涙ぐんだ。
パソコンの画面には「おめでと」の文字が。
光代さんは月に1度、一時時帰宅できるようになった。
母がいると家の空気が和む。
窓の外には家族から母へのプレゼント、
それは地域の子供たちの相撲大会だった。
光代さんは夫の治夫さんとともに新たな挑戦を始めた。
それは講演会の開催。
病気になった悔しさや、母としての思いを多くの人に伝えたい。
この日は長女の加代さんが母の文章を読む。

2012年1月
新しい年を向かえた石田家に結婚した長男が娘を連れてやってきた。
光代さんはおばあさんになったのだ。

2012年2月
パソコンを打つためにチューブを噛み続けた光代さんの歯に異変が起きていた。
下側の歯が内側に曲がってしまって噛み合わなくなってしまっているのだ。
そこで理学療法士の大石さんはマウスピースを少し改良した。
文字を打つのが以前より遅くなったもののこれでまた家族に思いを伝えられるようになった。

2012年4月
この春、次女の寿代(ひさよ)さんは家を出る。
福岡にある夜間の専門学校に進学する。
それは理学療法士になるためだった。
旅立つ娘へ母からのエール。なんと絵文字も入っている。
別れを告げ、娘の出ていった病室。
残された母の目に涙が浮かぶ。
4年後寿代さんは夢を叶え、地元に戻ってくる予定だ。

光代さんは今日も思いを伝える。
7つの宝と新たに生まれた宝のために・・・


取材日数3000日とは、ひたすら驚かされます。
そもそも病気になる前の光代さんを取材していたのは別の目的だったのでしょう。
石田家の肝っ玉母さんを題材にしたほのぼの感あふれるドキュメンタリー。
しかし取材を続けるにつれ、病が発覚。
取材は思わぬ方向へ・・・
番組中何度も映される光代さんがパソコンを打つ姿を見ていると涙が出そうになります。
全てを理解しているのに体を動かすことのできないのはさぞ悔しいでしょう。
しかし、光代さんは幸せものです。
やさしい夫と子供たちに囲まれ、孫まで生まれた。
これからも病気に負けずみんなを元気づけるメールを打ってください。

















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2012年04月04日

NNNドキュメント 仰げば尊し

まるでヤクザのような風体で歓楽街を闊歩する男。
しかし、酒もタバコも一切しない。
三輪光教諭47歳。 
兵庫県立飾磨(しかま)工業高校の教師だ。
部員3人でスタートした柔道部を定時制高校の全国大会3連覇という偉業を成し遂げた男である。
柔道部は実績のある生徒を集めている訳ではない。
かつて不良だったり、道を踏み外した生徒達だ。

最大の目標は夏の全国大会で優勝すること。
部員の1人、西岡礼央(れお)くん3年生。
かつては地元で評判の問題児だった。
彼は中学時代、両親の離婚をきっかけに荒れた生活を送っていた。
毎日喧嘩に明け暮れ、隣の中学に殴りこみをかけたこともある。
周囲が見放す中、声をかけてくれたのが三輪先生だった。

2011年7月
全国大会が近づく。
3年生にとっては最後の大会だ。
礼央くんは団体戦でも個人戦でも出場の予定だったが、
練習の最中、右のひざに激痛が。
大会まであと10日なのにじん帯を痛め、2週間の安静を言い渡された。

全国大会当日。
この大会には予選を勝ち抜いた300人以上が参加する。
まだ完治はしていないが、礼央くんも出場。
団体戦が始まり、礼央くんの一本がきっかけで一気に勝利を決めた。

個人戦。
礼央くんは接戦の末、敗れてしまった。
涙に沈む礼央くんに先生は
「よくがんばった。堂々と胸を張れ」

礼央くんは言う。
この3年間、三輪先生の下で教えてもらって自分を見つめることができるようになり、成長できた。
試合後、離れて暮らす父親も彼の元へ駆け寄り、声をかけた。

結果、団体戦4連覇を果たした。

2012年3月卒業式、
柔道部全員が就職を決め、巣立っていく。

新学期、また新たな生徒達が入学してくる・・・



たまにこのような型破りな教師はTVで紹介されますね。
一般社会ではかなり異質な存在であり、
もし、通常の会社員だとしたらうまくやっていけない部類の人かもしれません。
でも、教師という立場においては生徒達からの絶大な信頼を得ています。
他の教師は足元には及びません。
私が学生の頃にもこのような教師は存在しました。
今考えると、とても常識外れなことをやらされていたのを思い出します。
しかし、中学生、高校生の頃は学校以外の環境に触れる機会が少なく、
自己の考えも確立していない、人間として中途半端な時代です。
この方のようにグイグイ引っ張ってくれる環境で学ぶ時期も必要なのかもしれないと
思いました。






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posted by ドキュメントまにあん at 12:34| Comment(0) | NNNドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする