2013年04月22日

障害からの復活 A

NONFIX
愛は覚えている その2


2003年4月中山グランドチャンプG1
大会新記録で優勝。
僕がテニスの王子様で初舞台を踏んだ2003年、
デビューからわずか五ヶ月で12勝を上げた期待の新人。
ビッグテーストに跨り、G1レースを制覇し、
レコードタイムを更新するという伝説を作った男。
競馬騎手の常石勝義さん(当時26歳)です。


さらなる活躍を期待されていた常石さんを悲劇が襲いました。
2004年豊岡ジャンプS
レース中の落馬事故。
これにより、左半身の麻痺と、脳には高次脳機能障害を負いました。
「落馬して、一ヶ月意識がなかったときでも、ムチを持ってました。
箸も何も持たないし、誰が誰かわからないけど、ムチだけは持てましたね。
彼の中では馬意外何もなかった。だからできなくなって、
”他に趣味何もなかったの?”って言うくらい馬しかなかった」と
母の常石由美子さん(62歳)は当時の彼のことを思い出します。

落馬から33日目にリハビリ開始。
もう一度競馬騎手に戻りたいと懸命にリハビリをする常石さん。
次第にその効果は現れ、車椅子から立てるように。
しかし、高次脳機能障害により乗馬はドクターストップ。
再び競馬騎手になる夢は絶たれました。

2007年2月引退式
そんな常石さんのために仲間たちが手づくりで開催した引退式。
馬が大好きで競馬騎手になった常石さんはファンからも愛されていました。

済生会滋賀県病院
常石さんは年に一度、病院で
脳神経外科の岡英輝医師の検診を受けています。
現在は35歳の常石勝義さん。
左半分が見えにくいとか、注意力散漫、記憶力の低下が見られます。
「わかりにくいでしょうね。
たとえば一般には派手な症状の方がわかりやすいんですよ。
高次脳機能障害は見てわかりにくいんですよね。」と岡英医師。

高次脳機能障害は見えない障害と言われ、
出てくる症状も記憶の障害を始め様々です。
患者数は東京都だけでも5万人、全国に推定で50万人いると言われています。
周囲の理解やサポートを得ることが難しいことから
社会復帰率はおよそ15パーセントととても低い状態です。

滋賀県・草津市
草津市内のマンションで母の由美子さんと暮らす常石さん。
家の中には至る所に張り紙やメモ用紙が貼られています。
毎日見る姿見には”服装チェック”の文字。
出口のドアには一週間の予定と忘れ物がないようにとその日の持ち物が書かれています。

常石さんが週に一度訪れるのは、日本中央競馬会(JRA)
が運営する栗東トレーニングセンターです。
引退後、常石さんは競馬騎手だった経験と、自分の人脈を生かし、
持ち物をムチからペンに変え、競馬ライターとして活躍しています。

武豊騎手は常石さんにとって憧れの機種であり、
公私共に仲のよい先輩でもあります。
常石さん:逃げ馬が外に入ったらどうなるんですかね?
武豊さん:逃げ馬だったらまだいいけど外で。逃げない馬だとしんどいよ。外回されるから。
引退しても競馬に関わる仕事をしたい。馬が好きな常石さんが選んだ道です。

今度は馬の調教師の角居勝彦さんに取材。
常石さん:どうしてこの世界に入ったんですか?
角居さん:厳しい親父から逃げたかったから(笑)

騎手としては一流でしたが、記者としてはまだまだ半人前、
お母さんのサポートが欠かせません。
母と兄が経営する居酒屋でリハビリも兼ね、夜は手伝いもします。
常石さんには今、ある夢があります。
「小さい仕事・・・”馬上インタビュー”ということをしたいんですね僕は」と常石さん。
勝利騎手に同じ馬上からインタビューをする馬上インタビュアーです。
海外では一般的ですが、日本では行われていません。
「馬に乗ってる時にインタビュー来られたほうが乗った馬の吐息が伝わるだろうし、
レースで厳しかったところなど全部しゃべってくれると思うので」
そして常石さんはその夢へと近づくため、乗馬二級の試験を受けようとしています。
「そういうことをしたいなら”乗馬の免許くらい持っとかないと”と思って取りに行くんですけれども」

母の美恵子さんは馬上インタビュアーの夢を通し、
常石さんが少しでも自立をして欲しいと思っています。
「いつも誰か助けてくれるという甘い考えで頼ったりとか救いを求めるとかいうところがあるので、
チャレンジするというのは彼がちょっと一歩成長してくれるのではないかなと思って」

試験の当日
乗馬二級の試験を受けるため、栃木へ向かう日の朝。
昨日は緊張で眠れなくて出発時間に30分遅刻してしまった常石さん。
滋賀から栃木へ一人旅。常石さん、無事一人でたどり着けるのでしょうか?
乗馬二級試験会場である栃木への一人旅をする常石さん。
常石さんは高次脳機能障害のため、一度寝ると記憶がリセットされてしまうことが多く、
今回は音楽を聴いて居眠りを防止。

あれ?常石さん、まさか?
東京ではなく、品川で下車しようとしたところを撮影スタッフに止められました。
危ないところで車内に戻ると、そこへ電話が。
「ちゃんと起きて用意しなさい」と母からの電話でした。
常石さん、なんとか無事に東京駅に到着。
その後も道を何度も間違えては戻りを繰り返し、
迷いながらも一人でようやく目的地に到着しました。

栃木県・那須塩原市
那須トレーニングファーム。
乗馬二級試験実技13経路。
この試験では、コース経路を書いた紙を渡され、
経路通り間違えず馬をあやつらなければなりません。
「前回は経路をはっきり覚えていなかったんで、ダメだったんですよ」と常石さん。

記憶の障害を抱えた常石さんはやはり、覚えることが苦手です。
実は常石さん、二級試験を二回受け、二回とも不合格でした。
乗馬二級の試験に挑むのは馬上インタビュアーになりたいという夢を叶えるため。

常石さんが本番の乗馬経路を自分の足で走り出しました。
馬と走るコースを自分で走ることでそのコースの特徴を体に刻んで覚えるためです。
夜もベッドで経路を繰り返し覚える常石さん。
明日は試験の日、これまでで最高の乗馬を見せなければ合格できません。

そして試験当日。
近所の人が応援に集まってきていました。
騎乗し、試験コースへ向かいます。
この日の朝早く、お母さんが草津から応援に来ていました。
「テーストに乗って勝ったときのことを思い出して」と母。

いよいよ二級試験、実技の開始です。
経路の間違い以外にも、馬のスピードや、騎手の姿勢などたくさんのチェック項目があります。
でもさすが元競馬騎手。現役時代を彷彿とさせるフォームで馬と一体になって走っています。
そして、実技が終了。

今回、経路の間違いはありませんでした。
「すごく力が抜けていて良い演技だったと思いますよ。
馬も楽しそうに演技していましたよ。筆記も頑張ってください。」と試験官から声がかかりました。

次は筆記試験です。100点満点中60点が合格ラインですが、
実は常石さん、これまで実技で失敗していたため、筆記は初めて。
いよいよ筆記試験の結果が発表されます。

「常石さん。60点! 合格です。」
「やったー! ありがとうございます。嬉しいですね。ギリギリでも。人間頑張ればできるってことですよね。」

喜びの合格の後、常石さんがどうしても立ち寄りたい場所がありました。
あの常石さんと共にG1を制覇し、伝説を作ったビッグテーストとの再会です。
「全然変わらないなぁ、お前。今日俺、乗馬二級試験合格したんだよ。ありがとうな。お前のおかげだよ。」

ビッグテーストに乗るのは10年ぶり。テーストも既に引退し、
人間でいうと70歳のおばあちゃんになっていました。
「二級に受かったのも嬉しいけど、やっぱりテーストに会えたのが嬉しいですね。
乗馬ライセンスが取れたんだから、競馬の馬上インタビューっていうのはぜひやって行きたいですね。」
馬が好き。その思いは決して忘れません。

競馬ファンの間では有名な常石さんの事故。
2009年のこちらの番組でも取り上げられています。
彼の今までの軌跡が映像で見られます。
今まで知らなかった番組ですが、バックナンバーで全部見られるなんてすごいですね。

番組では語られていませんでしたが、
実はデビューした1996年にも大きな落馬事故で一時期意識不明となり、
長期休養をされていたこともあるそうです。
死の淵から二度生還し、今もなお競馬に人生を賭け、精力的に活動されているんですね。

私自身は競馬というギャンブルにそれほど興味はないのですが、
仕事関係で何度も競馬場には足を運んだ記憶があります。
綺麗な芝の中を馬が走る姿を初めて見たときはすごく感動しました。
今もたまに馬を見に行くという目的で競馬場に行ったりします。

その3では競輪選手からパン屋へ見事に転身された多以良泉己(たいらみずき)さんの話をお送りします。






















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posted by ドキュメントまにあん at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | NONFIX | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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