2013年04月05日

生涯役者

d-boys.jpg

日曜ヒューマンドキュメント
僕は障がい役者


あの人気俳優「城田優」を輩出するなど若手俳優集団として絶大な人気を誇る
D-BOYS
その中で特別な輝きを放つ1人の俳優がいます。柳浩太郎(24歳)
D-BOYS「夏どこ2010」幕張イベントホールで大勢のファンの中で生き生きとしている。
7年前の2003年、一大ブームを巻き起こしたミュージカル「テニスの王子様
17歳のとき、主役の越前リョーマ役で鮮烈デビュー。
持ち味は抜群の運動神経を生かしたダンス。
しかし、今彼は自らのことをこう表現します「障がい役者」
彼自らが記した同名著書には壮絶な戦いと挑戦が書かれていました。
車に撥ねられ、意識不明の渋滞に陥り、脳死の危険性すらあった命の危機。
辛うじて命を取り留めたものの、両親の顔すらわからなくなるほどの記憶障害。
更に右半身マヒ、声帯損傷。
自ら命を絶とうと思いつめたことも。
そんな彼を救ったのは仲間たちの声と友情でした。
「浩太郎〜はやく戻ってこい!」
「いつでも待ってる」

更に柳浩太郎復活の裏にはD-BOYS誕生の秘話が隠されていたのです。
「ハンディがあるから甘えるとかイヤですし、自分にしか出せない役者になりたい。
印象に残る役者になりたい。」と柳浩太郎は言う。

役者として挑戦を続ける柳浩太郎。
一度全てを失った彼はいったいどのようにして生きる力を取り戻したのか。
今、特別な輝きを放つ俳優、柳浩太郎。
その挑戦の日々を追いました。


柳浩太郎は1985年12月21日
6歳からの小学生時代を商社マンである父の赴任先インドで過ごした、
言わば帰国子女でした。
歌と踊りが盛んなインドで過ごした多感な少年時代、そこで育んだのが
「ダンサーになりたい」という夢。その後帰国した柳は16歳の時、
姉の勧めで応募した雑誌のコンテストで上位に入賞し、
芸能界にデビューするきっかけを掴むのです。
目標は一流のダンサー。踊りのパフォーマンスで観客を魅了したい。
そんな夢を抱いていました。
その時所属事務所が彼に受けさせたのが、
ミュージカル「テニスの王子様」のオーディション。
しかし、柳自身は最初、
このオーディションに乗り気ではありませんでした。
「ミュージカルって正直、17歳くらいだったのでバカにしてた。
何でこんなの受けなきゃいけないんだ」(自伝より)

その時の映像が残っています。
まずはセリフの表現力、歌唱力も審査の対象でした。
彼はこの時の心情を自伝でこう語っています。
「見世物になった気がしてムカついてきた。ちょっと威嚇するように
みんなを睨みつけるとブスっとただつったって次の指示を待つ。
みんなは最初に”よろしくお願いします”とか言ってた気がするけど、
そんなナメられるようなことをする気はなかった。
”わざわざ来てやってる”という気持ちが強かったからだ。」(自伝より)

ところがこのぶっきらぼうでクールな物言いや雰囲気がまさしく
主役の越前リョーマにぴったりだと全員一致で柳が抜擢されたのです。
「主人公はすごい態度悪いんですよ。
でもそれが明らかに自分とそっくりでした。」と柳は言う。

スポットライトの中心で輝き始めた柳浩太郎、
テニスの王子様のミュージカル、略して「テニミュ」は
若い女性たちの間で流行語になるほどの大ヒットとなるのです。
テニミュは大盛況のうちに千秋楽を迎え、すぐに第二弾の舞台が決定します。
しかし、運命が転換したのはその矢先のことでした。

2003年12月14日
その日夜まで舞台の稽古に汗を流した柳浩太郎。
「”今から帰るからご飯用意しておいて”と母さんにいつものようにメールを打ち、
JRの駅へ向かった。駅を降りるとすっかり暗くなったいつもの帰り道を足早に歩いた。
見慣れた自宅マンションはもう目の前だ。
”あのダンスの振り、もうちょっとカッコよくできるかもしれないな”
最初はあんなにイヤイヤだったくせに気がつくと”テニミュ”
のことを考えている自分に気がついていて、思わず笑ってしまった。」(自伝より)

その時...
交通事故。彼の体は10メートルも飛ばされたといいます。
すぐに柳浩太郎の体は病院に運ばれ、家族も駆けつけました。
意識不明の重体、右側頭葉の脳挫傷、脳幹と小脳の損傷、
外傷性くも膜下出血による身体のマヒ。このまま意識が戻らないかもしれない。
医師は家族にそう告げました。
しかし家族は眠り続ける彼に向かって話しかけ続けたのです。
「それまでずーっと私達面会にいくたびに、とにかく声をかけて脳に刺激を与えれば、
もしかしたら反応があるのではないかと聞いたんです。」と母の一恵さん。

事故から一週間、意識が戻らないまま迎えた18歳の誕生日。
目を覚ました彼の目に飛び込んできたのは見知らぬ天井でした。
病室にはどこかで聞き覚えのある音楽が流れ、
知らず知らずのうちに彼はその歌を口ずさんでいました。
「いつも”テニミュ”の音楽をかけていたんです。そうすると一緒に口ずさんで
”えっ!?”ってびっくりしまして、まだ稽古中だというのが頭にあったんだか
よくわからないんですけど、一番自分が熱を入れていたものですからそういう
意識が頭の中にあったのかなぁと思いました」と一恵さん。

意識が回復、命の危機を脱し安堵が広がったその時でした。
母は我が子から発せられた言葉に耳を疑うのです。
「どなたですか?」

それまで積み上げてきた彼の全てが失われた瞬間でした。
事故から一週間ようやく意識を取り戻した柳浩太郎。しかし、
母親の顔を認識できない。記憶の喪失と混濁・・・脳の損傷が原因でした。
「子供の頃から冗談とかそういうのが好きだったもんですからまた冗談を
言ってるのかなぁと思ったらそうでもないみたいで、本人も無意識で
出てきた言葉みたいですごいショックでしたけども」と一恵さん。

更に父浩輔さんに向かっては「You Nick?」なぜか英語で呼びかけた柳。
子供の頃父の仕事の関係でインドに滞在し、英語で会話をしていた頃の記憶が戻っていたのです。
「言い方わるいけど動物的な反応が出てきて、それから次第に人間的に戻っていくというかですね。一足飛びに小さい頃に戻ったような 最初ね それから徐々にという感じでしたね」と父。

「記憶も途切れ途切れでインドの生活をしていた時の記憶に戻っていたみたいで
出てくる友達の名前とかもみんな向こうの友達の名前」と姉のえりかさん。

下された診断は「高次脳機能障がい」。
「これまでの記憶も飛んでいて、そして新しいこともあまり覚えられない。とても単純なことでさえ・・・全ては頭に入ったとたんにするすると抜けていく。」(自伝より)

脳のダメージによって記憶や何かを集中して行うことが極端に苦手になる高次脳機能障がい。しかも、
「高次脳機能障がいのリハビリの場合は 例えば記憶障がい 記憶が悪い患者さんに無理に記憶を鍛えようとすると逆に自身を失ってしまって悪くなることがあります」
と国立成育医療研究センターリハビリテーション科の橋本圭司医長は言う。

そして医師は家族にこう告げます。
「希望は捨てないでほしいが、役者に戻るのは難しい」と。

およそ1ヶ月後の1月20日、柳はリハビリのため、転院することになりました。
「車イスに固定されたボクを父さんが押してくれて病院を出た。”ボク治る?”
”治るよ”しばらく歩くと”ボク治る?””治るよ””ボク治るよね?””・・・・”治る?””治るよ。絶対”父さんは半ば自分に言い聞かせるかのように”絶対”と付け加えた。」(自伝より)

「今だから言えるけど壊れたゼンマイ仕掛けの人形のように同じ事を繰り返すんですよね。”父さん?ボク治る?”って”治る”って”心配するな”って。 どこまで治るか不安もありましたけどね。」と父。

事故から2ヶ月が過ぎても記憶は安定せず、覚えたことをすぐに忘れてしまう。
そんな迷路に迷い込んだような日々。
「今はいったいいつなんだろうっていう、”テニミュ”はどうなったのかっていう心配が一番大きかったですね」と柳。

「”テニミュ”はどうなったんだろう?と気になってカレンダーを見ると、とっくに公演の日にちは過ぎていた。
いつの間に?その間、ボクはどうしていたんだろう。”母さん、オレ身体が動かないんだけど・・・・何かあったの?”」(自伝より)

こう聞かれるたび母は経緯を一から説明する。
そしてそれを聞き終わると絶望感が彼を苛みました。
いっそ病院の窓から飛び降りて死にたい。そんな考えが頭をよぎることも。
すべてを失い、未来も見えない一日中ただ病院の窓から外を眺めているだけだった柳。
折しも同級生達は大学受験のまっただ中、友達がなかなか連絡をくれないことで、
身を切るような孤独感はつのっていきました。
そして・・・

「ボクはひとつのルールを決めた。”2週間メールをくれない人は全部メモリーを削除する。”
しょせん友達なんて、その場限り。学校が変わればそれで終わり。
ましてや、友達が障がい者になったなら・・・ こいつも削除。こいつも削除。
こいつも。こいつも。こいつも・・・。ほとんどのナメがアドレス帳から消えた。
名前がひとつ消えるごとに、これまでの思い出もボク自身も消えていきそうだった。」(自伝より)

自らを追いつめる息子を心配した母は気分転換を兼ねて外出許可を取り、自宅に連れ帰りました。
およそ2ヶ月ぶりの我が家。テーブルの上には山となったファンレター、
そしてテニミュの仲間達からビデオレターが。
ところが、なぜか彼はそのビデオテープをなかなか手に取ろうとはしませんでした。
すでに自分なしで二回の公演をこなし、大きく成長しているはずの仲間達。その姿を見るのが怖かったのです。
「もうボクの知っている仲間達とは違うのではないか。今の何もかも不自由になってしまった自分と、
充実感でイキイキしているみんなとの距離を感じてしまいそうで怖かった。
”いつまでも仲間だよ”と思っているのは置いていかれたボクだけで、
知らぬ間にみんなはずっと遠いところへ行ってしまっているんじゃないか。」(自伝より)

ためらいながらもテープをビデオデッキに。
「”何言ってるんだオレに失うものなんて、もうないじゃないか”
自嘲気味につぶやいて、まだ力の入る左手でボタンを押した。」(自伝より)

そこには・・・
「がんばろうね、いっしょにがんばろう!お前のこと待ってるぞ」
「浩太郎!早く戻ってこい。」
「早く戻ってこいよ!」
変わらない笑顔で呼びかけてくる仲間達の姿が。
「”うるせーよ。こっちはまだ調子が戻ってねーのに、もうちょっと静かにできねーのかよ”精一杯毒づきながら、後半は喉が詰まって言葉にならなかった。
その後は堰を切ったように、とめどなく涙があふれ、ワーワー声を上げて泣いてしまった。”わかった、もう、絶対あきらめない。みんなのところに戻ろう!”何がなんでも”テニミュ”に戻ってやる。
その思いだけがボクの支えだった。」(自伝より)

「ボクだけじゃなくて周りの仲間も柳のためにとテニスの王子様という作品が好きだったので、この公演を成功させるためにみんなで頑張っていると、その絆がすごく熱くて」とメンバーのkimeruは言う。

「映像を見た瞬間にこれは稽古の後だなっていうのがわかったんですよ。
みんな疲れていて、稽古着で、若干汗もかいていて。
なのにビデオレターをオレのために送ってくれる。ああ仲間だ みたいな、また一緒にやりたいな」と柳。

絶対にミュージカル「テニスの王子様」の舞台に戻る。
柳浩太郎の壮絶な戦いが始まりました。

高次脳機能障がいに加え、右半身はほとんどマヒした状態。
医師が俳優に戻れないと診断したのも決して、理由なきことではありません。
これはリハビリを始めた頃、治療の一環として書き始めたノートです。
右半身がマヒしているため、利き腕の右手ではとても文字とは言えないものしか書けませんでした。
しかし彼は地道なリハビリで徐々に右手のコントロールを覚え、文章を書けるようになっていきました。
更に食事も右手で箸を使って食べる。
食べ終わるまでに気の遠くなるような時間がかかっても最後まで努力をつづけました。
「自動販売機でジュースを買うのも、重労働だった。
マヒした右手で小銭を入れようとしても、手が震えてなかなか投入口に入らない。
販売機と格闘している間に喉はカラカラ・・・だけどボクはもう前を向いていた。
小さくても毎日一歩づつ前に進むことを決めていた。」(自伝より)

「私もびっくりする程のがんばり方でした。次は絶対に出たいんだ
という本人の強い意思がありまして、それに向かって一生懸命・・・」と母は言う。

そして、車椅子が手放せなかった柳は驚くべき執念で立って歩けるまでに回復するのです。
「最初はベッドから起き上がることもできなかったのが、
一歩一歩どんどん自分で起き上がるところから、ベッドから立ち上がる。
車椅子に乗って杖二本ついて、それが一本になって・・・
今は杖も何もいらないくらいなのでそれは本当に凄いと思いますね。」と姉。

復活の日を信じ、リハビリを続ける柳。一方、所属事務所でも彼の今後について議論が重ねられていました。
そんな中、後遺症が残っていても柳を早期復帰させるべきだ。
そう強く主張したのが所属事務所ワタナベエンターテインメントの渡辺ミキ社長でした。
「ここで終わらせちゃいけないというか、ここで終わる子じゃないなっていうふうに思えてならなかったんですね。
状況はまったくすぐにでも復帰できそうなことを語ってくれてないんですけども、
私が感じることは、役割はあるんじゃないかなっていう・・・
役割が変わっただけで、役割がなくなったんじゃないんじゃないかという」と社長。

できるだけ早く復帰させることが柳に生きるエネルギーを与える。社長はそう確信していました。
「とにかく仕事”テニミュ”に復活したい。とはいえ、家の周りを散歩したり買い物に一人でいけないようでは、それどころではない。まずは歩くことから始めた。」(自伝より)

しかも右半身のマヒのせいでうまく踊れない。声帯も損傷したため、
セリフをうまく喋れない。
復帰への道は遠く険しいものでした。
一方事務所は柳が戻ってくる場所、ミュージカル「テニスの王子様」を何としても続けるために
舞台を担う才能の発掘のために全力を尽くしました。
そのオーディションから生まれたのが「D-BOYS」
柳復帰への道のりが誕生のきっかけだったのです。
「とにかく柳に良い形で戻って、柳にしかできないことが何なのかっていうことを支えるためにもという思いでそこからの日々っていうのはそういう思い出仕事をしていたような気がします。」と社長。

事故からちょうど一年が経った2004年の冬、柳浩太郎のテニスの王子様の復帰が決まります。
柳が不在の間、越前リョーマを演じていた遠藤雄弥とのダブルキャスト。
柳のできない踊りなどを遠藤がフォローするかつてない舞台、誰もが彼の復帰のサポートに力を注ぎました。
「何しろボクら自身が柳は絶対復帰してほしいと思っていたし、
またリョーマをやってほしいと思っていたから」と遠藤雄弥は言う。

舞台復帰の日が決まり、柳のリハビリはさらに熱がこもっていきました。
しかし、戻らない記憶力・・・これではセリフを覚えるのもままならない。
しかし、彼は諦めませんでした。
家族や仲間への思いが折れそうになる心を支えたのです。
そして、2004年12月29日生死を彷徨う大事故からわずか1年、ついに柳浩太郎は舞台復帰を果たすのです。
それはまさに奇跡でした。
五日間にわたる舞台、彼は仲間たちに支えられながら主役越前リョーマを演じきりました。
「”こんなオレでもいいんだ。”心からそう思えた。相手を恨んだり、あの時こうしていなければ、こうしていればと後悔する時間がもったいないと思う。”マヒのある体がオレなんだ””オレは障がい者だけど、みんなと一緒にやるんだ。”」(自伝より)

全てを失ったと思ったあの日、しかしそれは違いました。マイナスをプラスに変える生き方に彼がたどり着いたのです。
「自分を待っていてくれた仲間への愛情。家族への感謝。もう一度舞台に立てた達成感。」(自伝より)

千秋楽、クールな彼の目から涙が溢れていました。
障がい役者として生まれ変わった柳浩太郎。
それは新たなスタートでした。
事故から7年、柳はD-BOYSの一員として日々を過ごしていました。
ダンスレッスンに向かう彼は雨が降っているのに傘を差していません。
「傘を差したらバランスがとれないんですよ」と柳。

私達が日常で何気なく行なっていることも、彼には大きな負担。
レッスン中のマスクにも理由が。
「免疫力が低いから。メンバーもいるし、マスクしていないとすぐ風邪ひいちゃう」と柳。

事故は今も大きなハンデを残しています。
D-BOYS初となるアリーナイベントまであと四日、本番さながらのリハーサルが続いていました。
他のメンバーが軽快に踊る中、彼一人別メニュー。
同じチームなのに彼だけ振りが違います。
やはり昔のように反応できず、体も思うように動きません。
しかし、かつてメンバーの中でダンスが一番うまかったのは他ならぬ彼だったのです。
D-BOYSメンバーの荒木宏文が踊りを合わせます。
必死でついていこうと体を動かす柳。
「柳の前で踊りをするのが、柳に対してイヤな思いをするんじゃないかなとか
考えれば考えるほど気を使う部分がいっぱい出てくると思うんですよ。
気を使われることの方が、あいつはあんまり好きじゃないんだろうなと思うんですよ。」と荒木は言う。

もどかしい思いを、彼は精一杯の強がりでやりすごします。
「ずっとダンスやってればきっともっとうまくできたかもしれないけど、ダンサーじゃないんで。俳優なんで、ここはまぁ上手い子についていかないといけないかなっていうのはありますね。」と柳。

しかし、かつてのように体が動かないストレスが爆発したこともあったといいます。
テニスの王子様でダブルキャストを務めた遠藤雄也にやるせない気持ちをぶつけたことがありました。
「夜中に電話が来て、”わかんねーわ!あの中でオレだけ体が動けなくて何したら良いんだよ!”みたいなことを言っていて、気持ちはわかる。
あの中で自分のポジションを見つけるのもしんどいだろうし。
でも、そう思ってるのはお前だけだぞっていう。お前がいることによって成立する部分もあるだろうし、喜ぶお客さんもたくさんいる。」と遠藤。

メンバーも客も今の彼の状態をわかっている。しかし、彼は納得していません。
「割り切れるんですけど、でもやっぱり、自分ができてた、動けてた時、事故前の自分を知ってるファンの人もいるわけだから、そういう人たちに昔だったら柳はできたなっていうふうに思わせたくないから、変わっちゃったなって少しでもテンション、気持ちを下げたくないんで、だからオレはそういうのがわかるようなことはしたくないって思うんでそれでやっぱりグチを言っちゃいますね」と柳。

踊りで足を引っ張りたくない。事故後から彼を担当してきた伊藤トレーナーとのリハビリにも力が入ります。
なんでも無いように見えるトレーニング、しかし彼の体には大変な負担がかかっています。
「昔は一回もできなかった動作を今は5回やったけど、普段は15回で一セットぐらいやるんですね。
そうかんがえるとすごいですよね。彼に頑張ってってボクは言えないですよ。
というのはボクより頑張ってるから。彼の頑張りはハンパじゃないから」とスポーツトレーナーの伊藤洋さんは言う。

「ここまでしか回復しないって思うけどみたいに言われても、”いや、それを超えてやる”みたいな」と柳。

常に限界を超える戦いを彼は続けているのです。
家に帰ると日課にしているのが手洗いとうがい。
抵抗力の弱い彼にとって風邪などでも体に大きなダメージとなってしまいます。
プロの役者として仕事に穴を空けないために実践している健康管理です。
食事は馴染みの店へ「Orblight Cafe
時間がかかってもマヒが残る右手でスプーンを持つ。
彼にとって生活そのものがリハビリなのです。
「歯磨きとかもなかなか上手くいかなかったり、食べるときとか箸がうまく持てなくて、
治るって言われたけど信用してなかったんですよ。
交通事故にあう前とかもテレビとかで介護的なことに興味を持っていたんで、番組とか結構見ていて、
障がいとか交通事故とかいろんな症状をわかっていたんで、一回なったらこれは治らないっていうのはわかっていたんですよ。後遺症っていうのがあって。」と柳。

7月19日迎えたD-BOYSイベント「夏どこ2010」
フットサルやリレーなどファンとの交流をはかるD-BOYSの運動会。
そこに柳の姿がありました。
ファンのためにイベントにもちゃんと出演する。それは彼自身のこだわりなのです。
会場には今や遅しと開演を待ちわびるファンたちが。
本番直前、メンバーの中から一人離れた柳、昔のように走れなくても今できる精一杯の自分を見せたいとストレッチを始めたのです。
イベントでは何とフットサルにも参加。
独特の輝きを放ち始めた柳浩太郎。
事故前とは違う個性を社長は感じていました。
「柳浩太郎くんのあの個性と、あの大変な時(事故直後)でも”やべー社長きたよ”って言ってしまうようなああいうパーソナリティだったり、あの強さ、あの輝き、あのユニークさ、あとコメディーのセンスというかすごいと思うんですよね。
そういうところを見ていくと、彼が元々持っていたものを失ったから育んだものっていうものをミックスさせて、本当に今だからできる個性的な性格俳優への道を進んでいけるというふうに思っています。」と社長。

失ったからこそ演じられる個性もある。
そんな彼がチャレンジしているのが舞台「ラストゲーム」。
二人きりの会話で進む密室劇。
主役の一人は当時既に人気若手俳優として活躍していた城田優。
そしてもう一人の主役に柳は抜擢されたのです。
二人だけの芝居。
自分の失敗はそのまま舞台の失敗につながる・・・
それは大きなプレッシャーでした。
「かなり不安でしたよ。でもそれはやっぱり見せちゃいけないんで、いかに自分が健康な健常者でいて、
スタッフさんやみんなが自分の状態を知ってるわけではないので、いかに普通でいるかが勝負。みたいなところがあったんで、
」と柳。

共演した城田優は俳優「柳浩太郎」をこう語ります。
「あぁ障がいを持ってるんだっていうふうに思われがちなんですけど、個性。柳の個性になってるとボクは思うし、今ああいうふうに障がいを持って、それを乗り越えて”芝居やりたい”って役者に戻ってきたあいつにしか出せない芝居とかあいつにしかできないことってたくさんあると思うし、それこそ役によってはあいつにしかできない役とかたくさんあると思うんでそういった意味では本当に個性的な他に二人といない俳優。
誰もが目指しているところをあいつは一人で今走っているんじゃないかと思いますけど。」

障がいはハンデではなく個性、それが柳がたどり着いた俳優としての新たな境地。
彼について演出家の茅野イサムさんは
「あいつにしかできない芝居って表現って絶対にあると思うし、そういったことがね、なんかもっともっと生まれてくるとイイなと思うし、もちろん、だからどれくらい障がいが良くなってくるかわからないですけれども、本当にあいつすごい頑張ってるし、そして今の彼の個性が相まってきたらすごく面白い役者になるんじゃないかと、もちろんボクだけじゃなくて、きっとまわりが期待してるんだと思うんですよね。」

そんな独特な個性は一人の監督の目にもとまります。
映画「完全なる飼育」で彼を起用した深作健太監督です。
「彼はアップにすごくむいてる役者だと思いますし、体の動きっていうのも映像的になんぼでもごまかすというか
フォローすることができる、そういう意味で一緒に作業したい俳優だったんですよね。」

様々な人に見守られながら柳浩太郎はハンデを個性に変え、他にはない個性派俳優の道を力強く歩んでいるのです。
今彼が夢見る未来とは。
「特徴のある、自分にしかできないような役者になりたいっていうのがあるんですよ。もし使ってもらって、柳で良かったなっていうふうに思わせたいっていう、そういうのがあるんで、だから絶対に印象に残る役者になりたいですね、自分は。」

柳浩太郎が作詞した曲「夢への扉」そこにはこんなフレーズがあります。
「僕たちにはみんながいる。だからいつもがんばれる。」

「事故の後の自分のほうが好き」私達にそう語った柳浩太郎。
「障がい役者」それは障がいを乗り越え、一生役者として生きていく「生涯役者」という力強い宣言なのです。

これは2010年に放送された古い番組です。
なぜ今回とりあげたのかというと、
つい先日、彼の現状について放送された番組があったからです。
次回このブログでは先日放送された分も続けて書いていこうと思います。
二つの番組とも柳くんを追いかけたドキュメンタリーですが、
それぞれどのような視点から彼を追っているのか比較すると面白いのではないでしょうか。

このドキュメンタリーが放送された当時、
「テニスの王子様」の人気は当然私の耳にも届いていましたし、
そこで主役をやっていた役者の柳くんがこれぼどの障がいを抱えてしまっているという現実に
強い衝撃を受けました。
数あるドキュメンタリーの中でも強く印象に残っています。
高次脳機能障がい。
「隠れた障がい」と書かれているようになかなか外見で判断できないので誤解を招くことが多いようです。
なんらかの事故によって起こる障がいのようです。
ウィキペディアに書かれている関連人物の欄でも柳くんが一番上に書かれていました。
二番目に書かれている常石勝義さん。
彼を取り上げた番組も最近放送されましたのでいつか書き起こしたいと思います。
そして、最近話題になったのが料理研究家のケンタロウさん。
ニュースで流れた彼のバイク事故も凄まじいものでした。
いつか柳くんのように復活できることを祈ります。

彼が所属するD-BOYS。
メンバーを見てみると、どこかで見たことあるような人ばかりです。
番組内でも出演している城田優くんはもちろんのこと、
アキバレンジャーのレッド役和田正人くん。
仮面ライダーキバの瀬戸康史くん。
ウルトラマンの五十嵐隼士くん。
私の特撮好きがバレてしまいますね。

あと、遠藤雄弥さんは昔D-BOYSになる前に、私自身が仕事で関わっていたことを思い出しました。





















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posted by ドキュメントまにあん at 12:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日曜ヒューマンドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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