2013年03月19日

熱きモデラー達の戦いの記録

NONFIX
ガンプラ世界一〜カリスマオヤジとモケ女の挑戦


あれから33年、すべてはここから始まった。
機動戦士ガンダムのプラモデル 通称「ガンプラ」
今までアニメシリーズを通して、のべ四億個以上出荷された。
今では世界15の国と地域で販売している。
そんなガンプラに魅せられた人々に一年にわたり密着した。

ガンダム世代と呼ばれた少年のオヤジ。
彼の名は「ざく太郎」(39歳)

ニュータイプ世代の模型女現る。
ガンプラ歴二ヶ月の「ROMO」(27歳)
模型女たちが作るガンプラは我々の想像をはるかに超えていた。
「色を塗っているときや仕上げている時やデコレーションしているときはおしゃれをしている感じ」
ガンプラがつなぐ絆もあった。
ガンプラを通して会話をする父と娘。

すべてのガンプラ少年がここを目指す。
ガンプラ世界大会「GUNPLA BUILDERS WORLD CUP」
二年前、国の代表背負ったつわものが香港に集結。
ガンプラの世界一を決める大会が開かれた。
集まったモビルスーツそしてパイロット。
ただ者ではない。
「アムロはニュータイプの能力を持ちシャアは全てを破壊するのが魅力的」とある参加者は言う。

第一回大会は12カ国の代表で世界一の座を争った。
「私にとってガンダムは神様のような存在、同じ歳なので自分自身と重なる」と海外からの参加者。
ガンダム世界は日本を飛び出し世界に広がっているのだ。
別の外国人は「僕はガンプラの塗装や組み立てをする方がガンダムアニメや漫画より好きです」と言う。
彼らのような海外勢を相手に日本代表も熱い戦いを繰り広げた
GUNPLA Builders World Cup 2011ワールドチャンピオンシップ

山口竜彦さんの作品「願い」
ガンプラの母国日本代表は翼をつけた美しさが評価されたが惜しくも第三位。
世界二位は香港代表。
カラーリングテクニックが評価された。
そして初のガンプラ世界一はマレーシア代表「Kshatriya W」
独創的な世界観が評価され栄冠を獲得。

第一回世界大会。ここから一年戦争の物語が始まる。
翌2012年、東京お台場で第二回世界大会が開催された。
第一回大会から第二回大会までの400日間、ガンプラに魅せられた人々を追った。
そう、この物語は言わば起動戦士ガンダムのもう一つの一年戦争である。

諸君も知っているだろう、連邦の白いヤツがお台場に立ったことによりガンダム世代は再び燃え上がった。
そして世界初のガンダムをテーマとしたエンターテイメント施設「ガンダムフロント東京」もオープン、
施設内にはアニメ機動戦士ガンダムの初期の貴重な絵コンテや歴代のガンプラが1000体以上展示、
一度ここにくればガンダムのすべてがわかるのだ。
さて諸君、アニメ機動戦士ガンダムの放送が始まったのは1979年である。
ガンダムに乗りこんだ連邦軍に所属する「アムロ・レイ」が、地球からの独立を目指すジオン軍と戦う一年戦争である。
そのガンダムと初めて対峙したのが「量産型ザク」である。
ファーストガンダム放送終了後、144分の1スケールのガンプラが登場。
当時小中学生を中心に爆発的な人気を呼んだガンプラは、入手困難となりガンプラブームが社会現象となる。

あれから30年、少年達は大人になった。
神奈川県横浜市「pozdining
このとあるバーに集まった大人たちいったい何をしているのか。
皆ガンプラを前にカメラを片手に盛り上がっている。
彼の名は「ざく太郎」(39歳)
この会の中心人物だ。
彼は三年前からブログに自らが制作したザクを掲載、
すると瞬く間に人気サイトとなった。
そう、これはざく郎に憧れたガンプラ仲間が集まるオフ会なのである。

彼らを惹きつける魅力とは?
参加者は言う。
「過去の物も今見ると新しいと感じる」
「お酒を飲みながら自分の作った作品を持ち寄るというのは自分がガンプラを作るときに参考にもなるし、
みんながそれぞれ仕事をしている、その話を聞くのも楽しい」

さて、彼は何故「ざく太郎」と名乗るのか?
「第一話でガンダムにやられちゃうけど、最終話までマシンガンを持って立ち向かうザクの魂が
めちゃくちゃロマンじゃないですか。デザインもさることながらその魂が好き」
心底ザクに惚れ込んでいるのだ。

そこまでザクを愛しているのか
では見せてもらおうその性能とやらを・・・
「ガイド・ビーコン」
彼の行きつけの工房である。
そこで彼が取り出したのは30年前と変わらぬ144分の1量産型ザク。
彼の作品にはいくつもの技が秘められている。
それをこれから解き明かして行こう。
モビルスーツの性能の違いが戦力の決定的な違いではないことを教えてやる。

彼のこだわりはアニメに登場するザク本来のシルエット近付けるということ。
まず始めたのは肩幅を狭めるために切り落とす作業、
穴の空いた部分にプラ板を貼り付けて形を整える。
次は頭部の改造。
まず頭部の内側をV字にカットし、切り口をヤスリで整える。
改造前と改造後を比べると一目瞭然だ。
これをやるだけでイメージが変わってくる。
「基本、幅詰めなんですよ。幅増しするのは太ももだけ、幅広の肩をハの字に切ってあげる」
作業をしながら解説する。手慣れたものだ。
諸君、この違いがわかるか?
そしてそれだけではない、
「ポージングっていうのもロボットの演出の方法の1つだと思ってる」
まずは足首のパーツの改造。
アニメ本来の足の動きを再現させるため、固定されているプラモデルのキットをバラバラにする。
足の中に土台となるプラ板を埋め込み、針金を差し込む。
針金を軸に太ももと組み合わせるとアニメ特有の柔らかい動きを再現することができる。
改造後の完成品をご覧いただこう。
これがざく太郎がこだわる量産型ザクの姿、この世界観が貴様らに分かるか?
「自分で作って自分でかっこいいと思ってます」
ざく太郎が挑むものとは?
「今年の”GUNPLA Builders World Cup 2012”に向けて気合いを入れたいと思う」
果たして彼は世界一になれるのか?

模型女現る!?
東京新宿区「模型ファクトリー
ここである女子会が開かれていた。
一見ごく普通の女性たちに見えるこの女子会、彼女たちは模型を愛する「モケ女」と名乗るモデラーだ。
「もともとアッガイって言うガンプラがあって、それが熊になったので
ちょっとおもしろおかしくかわいいなと思った」
「一人で違うものをいつも作っているんだけれども、いろんなものを見るのが楽しい」と参加者は言う。
このモケ女達、特にガンプラを愛するのだという。
彼女等の作風は独特。
まさかニュータイプか?

この模型教室を主催するのはもちろん女性。
プロモデラーの「オオゴシトモエ
彼女はガンプラに魅せられて10年以上ガンプラを作り続けるモケ女。
「もともと男性しかいなかった世界なので、複数人をしてモケ女という名前がつけられたことが革命」と言う。
この教室でガンプラ作りを初めて二ヶ月と言うモケ女がいた。
彼女の名はモデラーネーム「ROMO」(27歳)
はじめて二ヶ月でこの腕前
ニュータイプか?
これまで自己流だった彼女はこの教室に腕を磨きに来ているのだ。
「自分だと調べきれないことがここではたくさん学べる」

ここはROMOの自宅。
ガンプラ作り専用デスクだ。
彼女にとってここが戦場。
「大体一日三時間は作っていると思います」
「色塗りだったり仕上げている時はオシャレをしているみたいな感覚」
女性ならではの道具も使いこなす。
「例えばこのスパチュラなんかも、メイク道具のクリームを分けたりするもの使っています」
「塗装の前に埃がつかないようにきれいにするためにフェイスブラシを使っています」
さらに私には信じられないことが・・・
機動戦士ガンダムというのは見たことがないというのだ。

東京墨田区鐘ヶ淵駅。
ROMOがある人物と待ち合わせをしていた。
現れたのはざく太郎。
ROMOがざく太郎にお願いしてこの日の出会いが実現したのだ。
二人が向かったのは
ホビーショップ「スリーエス
ざく太郎の行きつけの店である。
掘り出し物が多いという。
店内に陳列されているガンプラの中には、ざく太郎の作品も展示されている。
ここでひときわ目を引くのは、彼の代表作、60分の1スケールシャア専用ザク。
無論私の愛機だ。
「年配者の方々に受ける旧デザインが人気があります」と店主は言う。

神奈川横浜市、
ここがざく太郎の仕事場。
彼の本業はバーテンダー。
オリジナルカクテルの名前はザクター。
ここでもザクか・・・
時に貴様、なぜそこまでザクにこだわる?
「自分は生まれた時から父親がいない母子家庭でしたし、母も小学校3年くらいの時に蒸発してしまいまして、
親戚の家をたらい回しにされ、5回は転校したんですよ。
小3の時にちょうどガンダムが流行っていて、更にガンダムの再放送があって一番熱かった頃ですね。
その時一番貧しい思いをしてて、買ってくれる人もいない、でも周りの子は持っているその頃のトラウマですよね。
今になって、金も時間も自由になり、子供の頃の怨念めいた気持ちもあるんです。」

2012年9月
東京・墨田区
ROMOはある場所へ向かった。
レンタル工房「インクス
ここはプラモデルを作るレンタルスペース。
この工房でざく太郎と共に第二回の世界大会に出品する作品の制作を始めていた。
ざく太郎が取り出したのは、戦車などのミリタリーモデルのパーツ。
これでオリジナルの武器を作り出し、彼のイメージするガンダムの世界をよりリアルに作っていくのだと言う。
実は最近までガンプラの世界から離れていたというざく太郎。
子供の頃に憧れたガンプラ制作を三年前、再び始めた。
「子供の頃に憧れた、当時やれなかった、今だからできる
今回はそんな作品なんで、子供の頃にいつか作りたいと思っていたものの集大成という感じ」

アニメに登場する人物も忠実に再現。
今回出品する作品がこちらのジオラマ。
そこにはザクを中心とした独創的なストーリーが広がっていた。
「やっぱりトレーラーですよね。トレーラーで新品のザクが届きました。というジオラマなんですけど、
13年後という設定で、ジオンにとっては負け戦という状況、
その時に補給がきた・・・それが13年前のザク。設定を知っている人であれば、
窮地に陥ったジオンの状況をちゃんと表していることがわかる。実際は自分の中の妄想ですけどね。」

妄想するイメージの細部までリアルに仕上げていく。
頭の中でイメージした世界の完成が近づく。

一方、ガンダムのアニメを見たことがないというROMO。
「私の中のガンダムのイメージは、立っているイメージなので、ちょっと立たせて、
その中でも仁王立ちではなくて、ちょっと動きのあるポージングにしようかなと思っている」

アニメの中のガンダムの動きを知らないROMO、なかなかポーズが決まらない。
「最初は銃を上に構えているポーズにしようかと思ったんだけど、どうやら”ラストシューティング”というポーズらしいんです。
でも見たことがないんで・・・」
ジオングとガンダムが相打ちとなるあの瞬間、ガンダムはそんな姿ではなかったぞROMO。

応募の締め切りが迫ったある日、ざく太郎は残暑の公園にいた。
応募用の写真撮影をするために屋外にやってきたのだ。
日本予選一次審査は背景を含めた写真全体の構図が決め手となる。
最もイメージに近い写真を選びぬき、インターネットで応募。

一方、ROMOは自宅で最後の仕上げに取り掛かっていた。
悩んでいたポージングは・・・
「戦争が終わって、帰るときのガンダム。ちょっと悲しそうな動き。
悲壮感漂うような動きを出したくて、それを考えてこういうポーズになりました」
最終的なポーズは決まった。
残すは写真撮影。
撮影は兄が担当。
「今回の目標は・・・国内トップで。目指すは優勝でいきたいと思う」

いよいよ審査の日。
「株式会社バンダイ ホビー事業部」社内。
全国で応募された写真の中から一次審査が行われていた。
審査員の一人は80年代、ガンプラブームの火付け役となった伝説のモデラー、川口名人(川口克己)
学生時代、プラモデルにリアリティーを追求した手法で周囲を驚かせた。
応募から2週間、ざく太郎とROMOはいつものオフ会にいた。
そろそろ合否の結果が出る頃だ。
メールが来た。
見ごとざく太郎は一次審査を通過した!
さてROMOは一次審査通過なるか?

ガンプラがつなぐ親子の絆。
ガンダムの聖地、東京・台場
ここにガンダムを一目見ようとやってきた親子がいる。
モデラーネーム、「エムロボ」(46歳)
彼はまさにガンダム世代の申し子。
その娘モデラーネーム、「あお」(8歳)。
この親子を結ぶ物とは?
連邦の白い奴。
30年前、ガンダムに心を奪われた父とその娘は今、ガンプラで繋がっている。
お父さんの部屋にはガンプラが積み上がっていた。
「これでも大分処分したんですけどねぇ」と父。
「ガンプラ作りたいけど、お小遣いであんまり買えない」と娘のあおちゃん。

お父さんがガンプラ制作に取り掛かると、決まって娘も一緒に作り始める。
父と娘の作業机は隣同士だ。
わからない部分を隣の父に聞き、間違いを指摘される。
あおちゃんのガンプラ作りのキッカケは、四歳の時。
父と行ったおもちゃ屋さんで迷わずガンプラを持ってきたというのだ。
「一緒の体験をすることで、楽しめることがあればいいなぁ」 と父
家族三人が集まれば自然とガンプラの話題になることが多いという。
ガンプラに夢中の父と娘を見て、母はどう感じているのか?
「私はある意味常識的な方法しか思いつかないことを、ガンプラを作る事によって考える力がついているのが凄い、
柔軟性がある」
ここにガンプラが繋ぐ絆があった。

2012年10月千葉・幕張
玩具メーカーが出展する、「第52回全日本模型ホビーショー」が開かれていた。
この一角にGBWC2012(GUNPLA Builders World Cup 2012)の日本予選二次選考会の審査会場がある。
写真先行の一次審査を突破したオープンコース120作品を展示、
二次審査を通過できるかは訪れたお客さんの投票数で決まる。
会場にはざく太郎の姿もあった。
自分の作品を見て、
「自分のだけ浮いてるなぁ、地味だなぁ」と笑う。
一方、ROMO。
一次審査通過できたのか?
ROMOも無事、一次審査を通過していた。
「自分の腕が未熟で恥ずかしい部分もあるけれど、すごく嬉しい」

はたして二人は最終審査に進めるのか?

2012年11月
一ヶ月後、ROMOに一本の電話が入った。
バンダイからだった。
ガンプラを作り始めてわずか二ヶ月のROMOがついに最終選考に進んだ!

作品を丁寧に梱包し、展示会場へと送る。
勝利の栄光をキミに。

一方、ざく太郎は?
ざく太郎、予選突破なるか?!
彼はいつものバーにいた。
結果は二次予選敗退。
「自分の作りたいものを作るというポリシーが世界に受け入れられなかったのだからしょうがない」

ざく太郎にはもう一つ仲間達のためにやりたいことがあった。
秋葉原
彼は地方の仲間も集まりやすい新たな模型サイトの立ち上げを進めていたのだ。
有限会社サーカス」大森博幸さん
ガンプラ仲間であり、web制作を担当する。
そして奥さんもまたモケ女という夫婦だ。
どうすれば誰もが見やすく、集まりやすいサイトになるのか仲間たちとさまざまな意見を出しあった。
新たに立ち上げたサイトは「Re:sense
改造のポイントが一目でわかるように工夫されていた。

そんなざく太郎に大森夫婦からサプライズプレゼントが。
それは少年時代に憧れた川口名人との会合だった。
この日のために名人が持ってきてくれたのはざく太郎が夢にまで見た名人作成のガンプラ。
三体のガンダムを取り出し、熱心に説明する川口名人。
どれも同じように見えるのだが時代ごとに作り分けているという。
プロトタイプ、実践前、オーバーホール時。
微妙に細部が違う。
そして実戦をくぐり抜け、ランバラルの時にはこうなって・・・と言って四体目のガンダムを取り出す。
色が褪せて経年劣化を起こしている。
あの日から30年、少年時代の夢が現実に。
これもまたガンプラが紡いだ出会いというものか。

2012年11月25日
東京・秋葉原
GBWC2012日本代表決定戦
その座を掴んだのは?
残念ながらROMOは最終選考で敗退。
戦いは非情だ。
日本代表となったのはこの作品。
GBWC2012オープンコース日本代表
六笠勝弘 作品名「ジュピタリアン」
はたして日本は世界一の座を射止めることができるのか。

2012年12月23日
東京・台場
ガンダムフロント東京で第二回世界大会が開かれた。
世界13の国と地域から予選を勝ち抜いた作品が集結。昨年の第一回大会はマレーシア代表が世界一を勝ち取った。
あれから一年という時を経た戦士達。さらにできるようになったな。

そして日本代表 六笠さん、昨年ガンプラの母国日本は三位止まり。
面目躍如なるか?
そしていよいよ発表の時・・・
司会の川口名人「1010作品の中からチャンピオンに選ばれた作品はこちらになります」
世界一の栄冠を勝ち取ったのは香港代表
作品名「プロジェクト グエン-リゼル FA+FW
二年をかけて作ったというオリジナルパーツ、さらに緻密に計算されたレイアウトが審査員から高い評価を受けた。
大会を振り返って名人は言う
「年寄りだろうが、子供だろうが性別関係なしで共通の言葉としてガンプラをみんなで話ができるというのがすごいと思う」

神奈川・横浜
世界大会で予選で敗退したものの、ざく太郎は更なる一歩を踏み出していた。
ある人物との打ち合わせで彼が手にしていたものはザクではなくガンダムであった。
打ち合わせの相手は戦車や戦闘機を扱う模型雑誌「モデルアート」編集部の谷口英世さん。
実は今年三月に発売される表紙に初めてガンプラを取り上げることになり、
その第一号としてアマチュアモデラーのざく太郎を指名したのだ。
谷口さん「まずは写真投稿サイトでざく太郎さんが旧キットをすごい勢いで作られていて、それが懐かしくてかっこよくて、
ぜひこの人の考えてることが本になったらいいなと思って声をかけました」
「繊細に細かくやってるのかと思いきや、意外と豪快な感じの性格でちょっと驚きました」

自分を必要としてくれる人がまた一人現れた。
この打ち合わせでざく太郎にある心境の変化が見られた。
「好きだからただ作ってたというものから、人が見ても楽しめるものへ自分を次の段階へもっていくのはやりがいがあることです」
三年前に再び戻ったガンプラの世界、そこに待っていたものは・・・
自分を迎えてくれる仲間達、30年前、親と離れ欲しかったガンプラを手にできなかった少年時代。
今、君は何を思うのか。
「世に名を残すことがやれたというのは自分の中で誇り。見てくれなくとも、自分の中でやりきったぞという達成感」
年代や性別を超えて広がるガンプラの世界。
作る人のそれぞれの想いは人と人を繋ぐ力になる。



久しぶりの更新です。

今回は「ガンプラ」と呼ばれる模型作りに情熱を燃やす人々に密着した番組でした。
私も漏れ無くガンダム世代なので、非常に楽しく見ることができました。
ガンダムに登場する「シャア」役の池田秀一さんのナレーションで放送されたこの番組、
所々でシャアの有名なフレーズが挟み込まれ、CMに入る前にはガンダムの効果音が流れる等、
非常にガンダム愛に溢れたものでした。
大人になるにつれ、ガンプラから遠ざかっていく人が多い中、いまだに作り続けている人達、
そして、新たにガンプラの世界に入っていく若者達。
その世代間の交流を多角的に見ることができて、ボリュームのある内容でした。
もはや1つの文化といえるくらいガンダムは多くの人々に愛されていて、
その人気は日本だけにとどまらず、世界にも広がっているのですね。

私自身も過去、アニメのガンダムを見たこと無いにも関わらず、プラモデルだけは何度も作った記憶があります。
発売日には模型店に行列ができ、主役級のキャラクターはあっという間に売り切れました。
主役級の売れる商品と脇役の売れない商品を一緒にして販売する
「抱き合わせ販売」という悪どい商法もこのガンプラから生まれたのではないでしょうか。
それほど当時のブームは凄いものだったのです。

そして、この番組では語られてはいませんでいたが、
ガンプラがここまで愛されている理由の一つに「作りやすさ」という部分があると思います。
個人的にはガンプラ製品の精度の高さは世界一だと思っています。
CADで設計された現在の製品は精度が非常に高いため、接着剤も必要なく、色も着色されたパーツをただはめるだけで完成します。
昔のように専用の道具も必要ありません。
それが、ガンプラ作りの敷居を下げ、裾野を広げているのではないでしょうか。
一つのランナーで多色成形を実現したのもガンプラが最初です。
現在では、もはや人間の手では塗り分けることができないくらい小さい緻密な搭乗者のフィギュアが付いてきたりもします。

これからもガンプラは日本が誇る文化、技術の象徴として、世界中で愛されて欲しいと思います。



















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posted by ドキュメントまにあん at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | NONFIX | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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