2012年11月26日

最後に思いを馳せる人

まりあのニューヨーク
〜死ぬまでに逢いたい人〜


1989年 ニューヨーク
あの日ニューヨークはキラキラと輝いていた。
恋をして結ばれた。
運命だと思った。
でも幸せは長くは続かなかった。
もう一度あの人に逢いたい。
なぜならあと少しで命が尽きてしまうから。


2011年1月31日
入院2週間の精密検査を終えたのは今年1月だった。
フランキ・マリア・さわのさん(54歳)
「私のことは”まりあ”と呼んで」
と気さくに言う。

病院の先生からこう言われたそうだ。
「速く進行する人は早く死んでしまう」
「早くなんでもやらないと間に合わなくなってしまう」
「もしかしたら今年のクリスマスはだめかも」
病の発覚はわずか4ヶ月前だった。

彼女の病名はALS
筋萎縮性側索硬化症
全身の筋肉が萎縮し、やがては呼吸困難に陥る原因不明の難病だ。

病院から家まで付き添ってくれたのは職場の同僚北田尚子さん。
健康な人間は重力など意識もしないのにすでに日常が目には見えない力との戦いだ。
黄色いコートとエナメルのブーツ。以前からおしゃれな人だった。
一人暮らしの自宅にはやはり同僚が待っていてくれた。
「久しぶりだから時間がかかってしまうかもしれない」
とブーツを脱ぐのも辛いようだ。
余命を告げられた日だというのに驚くほど淡々としていた。

まずは洗濯物の整理。
「自分の姿を、そしてALSの現実を記録に残して欲しい」
テレビ局に話を持ちかけたのはまりあ本人だった。
「ALSになるために生まれてきたんじゃない」
「恋愛するために生まれたんだし、結婚するために生まれた」
「撮影されるのは勇気がいるけれどもその勇気は立派なものでなく、さらけ出す勇気」

そして「まりあの記憶」というブログで心模様を紡ぎ出してもいた。

〜ブログより〜
歩けなくなっている
だいぶ弱ってしまった わたしの筋力
わたしは身体障害者
どう馴染んでいこう
そしてもっと難問
どう死んでいくか

1956年、彼女は福島に生まれた。
カメラ好きな父と、やさしい母親、それに姉の4人家族。
9つ離れた姉のあとをいつもついて回る人懐っこい少女だった。
1985年、コンパニオンとして働いたつくば万博で恋に落ちた。
その人の名はロバート・フランキ(愛称ボブ)
親にも黙って飛行機に乗り、ニューヨークで結婚した。
誕生日にはケーキを焼いてくれるようなやさしい人だった。
なのにうまくいかなかった。

12年前に帰国し、憧れだった東京麻布十番に部屋を借りた。
福島から姉が見舞いに来た。
「”私の分まで抱きしめてきて”ってばあちゃん言ってるの」
祖母の伝言を伝えた。
「がんばらないと」
「どうやってがんばるの?」
「体は仕方ないから考えないで」
「体がそうなんだもん考えないわけにはいかないじゃん」
「熱があるとかだるいとかじゃないからすごい不思議だよ」
たわいない会話の中で福島に帰ってこないかと姉は何度も勧めた。
近くにいれば世話もできる。
しかし、それは本人の意志に任せることにした。

東京・港区
姉の不安をよそにまりあは職場復帰した。
職場に出るのはひと月ぶり。しかも車椅子で。
かざらない性格、経理部の仕事はデスクワークなので体への負担は少ない。
しかし、ささいなことで時間を取られるようになってしまった。
コピーを取りに行くのも普通の人より遥かに時間がかかる。
いつまで働くのが希望かと聞くと、
「病気次第。この病気は進行性だけど10人に1人くらいぱたっと止まるときがある。」
「人間っていつでも希望を持っているんだよね」
「死ぬかもしれないと思っているけど希望もある」

2月19日
周囲には支えてくれる人も多い。
円沸まりさんもその一人だ。
20年来の親友なのでなんでも言える。
かつてニューヨークで一緒に働いていた仲で、ランチも飲み会も離婚した時も傍らにいた。
会えば必ず遠い街の記憶が蘇る。
「ニューヨークに行こうよ」
「ボブにも連絡しよう」
2人で盛り上がる。
ニューヨークに行けば別れた夫のボブにも逢えるかもしれない。
心が騒いだ。

日本のALS患者はおよそ8500人。
筋肉の萎縮が呼吸器に及べば、息をすることもできなくなる。
その時は決めなくてはならない。
人工呼吸器に繋がれ声の出せない状況で生き続けるか、死を選ぶか。
まりあは人工呼吸器に頼りたくないと言った。
体の自由を失う前にニューヨークに行けるだろうか。
ボブに逢えるだろうか。
別れた夫には新しい家庭がある。
その暮らしを乱したくないから、夫婦に宛ててメールを書いた。
「死ぬ前にさよならとありがとうを言いたい」
「逢いたいというよりもけじめ」
ボブは願いを聞き入れてくれた。
急がなければ。
時間はひどく限られている。
とっくに切れたパスポート。証明写真を撮影する際の自分の顔を見て失われた若さを少しだけ恨んだ。

3月14日のことだった。
自力でトイレに立つことができなくなった。
ニューヨークが遠ざかってしまうのか。
4月3日には部屋の手すりが撤去され、電動ベッドが搬入された。
周囲からはおむつを勧められた。
しかし、それを拒んで1日3回のトイレ介助を依頼した。
夜が明けるまでヘルパーは来ない。

〜ブログより〜
また独り寝の夜がやってくる
不安な夜よ 朝になってくれ

掃除洗濯食事全て人の手を借りなければならない生活。
介護費用だけで月に3万円が必要になる。
仕事はもうできない。
同僚の北田尚子さんが仕事の昼休みに様子を見にやってきてくれた。
とりとめのないおしゃべりが世の中との接点。
この状況でそれでもまりあはニューヨークを諦めてはいなかった。

4月7日
一度決めたらやり通す人。
5泊7日のニューヨークへの旅行には円佛まりさんが付き添ってくれた。
仕事のやりくりをつけたまりさんは2子供を夫に任せての旅だった。
まりあは友人に恵まれている。
そして友人を見ればその人がわかる。
飛行機で片道13時間。寝返りが打てない親友にまりさんは何度もマッサージを繰り返した。

ニューヨーク。
ボブと離婚した後夢中で働いていた街。
スタバでコーヒーを買い、ハイヒールを鳴らして職場に急いだものだった。

旅の最中ずっとまりさんに頼りっぱなし。
ふと「これでいいのか」と思った。

明日は再開の日。
やっとボブに逢える。
想像するだけで心が揺れた。
遠い日の思い出が渦巻いて眠れない。
「私が悪女だったの」
「いつでも怒ってた」
「明日は賭けだよ」
「喧嘩別れしたんだから逢ってがっかりするかもしれない」

再会の朝。
そして再会の時。
ホテルの部屋で待つ。
ノックの音が響き、まりさんがドアを開けるとそこにかつての夫、
ボブ・フランキさんが現れた。
「20年ぶりだね」
「逢えてよかった」
「20年なんてあっという間ね」
「随分老けたわね」
ボブさんは20年前のビデオテープを持ってきていた。
そこには生き生きと当時を生きる2人の姿が。
色褪せないビデオの中の二人は笑顔に溢れていた。

2人で食事に出かけることにした。
まず、トイレを済ませておかなければ。
まりあさんがトイレに入っている間、まりさんとボブさんが短い会話を交わす。
「大変だね」
「進行が速くてね。しかも彼女本人も自分が死ぬと分かっている」
「でも彼女はすごく頑張っている」
「自分の生き方を貫こうとしている。そんな彼女を少しでも助けたいの」
「あなたに逢うのが夢だったんです」

3時間の短いが愛おしいディナー。
蝋燭の炎は消える間際に一際輝くという。
人生も同じかもしれない。
わだかまっていた事に折り合いをつける美しい時が訪れる。
「ありがとうを伝えたくてきちんとお別れがしたかったの・・・あなたとは」
「ありがとう。本当に光栄だよこの旅でそれを伝えようとしてくれたなんて」
「だってあなたは私の人生でとても大事な人だもの」
別れ際小さくなっていくボブの背中をいつまでもその場で見送った。
わかっていた。
もう逢えないのだと。

5月14日
緊急入院した。
喘息が呼吸に必要な筋肉を執拗に痛みつけていた。
入院の翌日、福島から母の八重子さん(87歳)が駆けつけた。
「大丈夫だよ」
「うごかないの」
負担をかけたくなかったからなかなか「会いに来て」とはいえなかった。
子供の頃のように甘えた。

〜ブログより〜
こんなになっちゃってごめんなさい
治りたかったよ
負けたくなかったよ
おんなじ撫で方子供の頃と
33点とっても5点とっても撫でてくれた
おんなじ手で

7月12日
転院を決めた。
終の棲家となるであろう場所。
東京・清瀬市にある救世軍清瀬病院。
末期のがん患者などを受け入れるホスピスを併設している。
まりあが重力に立ち向かうことはもうできない。
腹筋に違和感を感じて病院を訪ねてからから1年も経っていなかった。
ホスピス長の加藤修一医師と話をする。
「人工呼吸器で長く生きていく事は望まない?」
「一緒の終わりを天井を見つめて暮らすことももちろんアリですが私の場合は5,6,10年って続くのを受け止める自身はない」
「人工呼吸器つけた人は全部寝たきりではなくて今や海外旅行にいく時代」
「そうすると長く生きちゃうし、お金もかかるからいい」
全てが終わる前に一度でいいから家に帰りたいとまりあは言った。
あの麻布十番に。

7月
夏の日差しは眩しかった。
「これで私の自宅まで行きたい」
と車のついたベッドで介護師に押されながら話す。
さわやかな風、輝く緑、命のさざめき。
キーボードを叩く力も失ってしまったので、録音していく。
心に思うことはICレコーダーに。
「今まで来年まで生きたいとはおもわなかったけど、今日思った」

一度だけ家に帰りたい。
お気に入りだった自分の部屋におめかしして帰りたい。
化粧をして、マニキュアを塗る。
病院は我侭を受け入れてくれた。

7月22日
69日ぶりの麻布十番へ。
自立して一人で生きていく。
その誇らしさと時々襲われた一抹の寂しさを何もかも知っている部屋。
きっともう二度とこの部屋には戻れない大切なものを病院に置いておきたかった。
クローゼットから選んだ一枚の勝負服。
黒と白のチェックのワンピース。
パンプスとポパイに出てくるオリーブが踊るスカーフはニューヨークの思い出だ。

それから一週間後の7月29日。
まりあの肉体は重力から解き放たれた。
ブログはニューヨークの思い出で終わり、亡くなった今も訪れる人を待ち続けている。
「まりあの記憶」
以前まりあは言っていた。
日記は自分が読むもの。
記憶は人の心に残るもの。
いつまでも忘れずにいてほしい。あなたはそう望んだ。
なぜならいつか必ず忘れ去られていくから。
あなたはその切なさを知っていたのだ。

あれから一年、まりあさんは故郷福島に眠っている。
北田尚子さん
円佛まりさん
墓参りの後まりあの実家に向かった。
姉のキミさんが出迎える。
そこに一つの部屋がある。
キミさんが麻布十番から持ち帰った品々。
まりあが大事にしていたものがつまった「まりあの部屋」だ。
まりあはみんなの心のなかに生き続けている。



2011年度 ギャラクシー奨励賞の受賞作品でした。
現在も彼女のブログはここにあります。
1年もたたずにどんどん動けなくなっていく姿を見ると、
この病気の進行の速さに驚きます。
本人の心の整理もままならないくらいの速度で体が侵されていく病気ALS。
何度かこのブログでも取り上げましたが、本当に恐ろしいです。
早く治療のできる病気になることを願います。

常に気丈に振る舞っていたまりあさん。
良い友人を持った事が羨ましいです。
普段から話すことが大好きだったのでしょう、病気になって声を出しづらくなっても
懸命にお喋りをしようとしていました。
人生の輝いていた時を過ごしたニューヨーク。
亡くなる前に行けて本望だったと思います。

自分が死ぬ前に逢いたい人、行きたい場所はどこだろうか・・・
番組を見終わった時、心の中に思いを巡らせました。


最近、毎日新聞出版から本が発売されたようです。
ご興味のある方はぜひ。






















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posted by ドキュメントまにあん at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 特選 ザ・ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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