2012年09月04日

一緒に帰ろう

テレメンタリー2012
赤ちゃん おうちに帰ろう

1年にわたる入院生活を終え、自宅に帰ってきた2歳の女の子。
訪問看護師の平原真紀さんが横であやしている。
彼女は乳幼児専門の訪問看護ステーションを2年前に立ち上げた。
自宅での看護に不安を抱える母親たちの支えになる。
訪問看護師と家族の日々を半年にわたって見つめた。

生まれたばかりの赤ちゃんの命を守るNICU新生児集中治療室。
医療の発達で多くの命が救われる一方、未熟児や重い障害を抱える赤ちゃんが増え、ベッドはいつも満杯だ。
数年前には救急患者が受け入れられず、妊婦や赤ちゃんが亡くなるケースが相次いだ。
こうした中、看護や治療が必要な子供たちを地域で支えようという試みが始まっている。
東京新宿にある訪問看護ステーション「ベビーノ」
所長は先の平原真紀さんだ。
高齢者をケアするステーションが多い中、全国でも数少ない赤ちゃんのための訪問看護を行なっている。
スタッフはNICUや小児科での経験をもつ看護師。
2011年8月、順天堂医院。
新たな訪問依頼が入った。山下隼(はやと)くん(2歳)。
生まれてから2年余りを病院で過ごしてきた。
24時間呼吸器を付けての生活。まだ歩くことができない。
重い心臓病を抱えて生まれ、生後半年で気管軟化症を発症、これまで3度の大きな手術を乗り越えてきた。
容態が安定し、ようやく退院が決まったものの、
これからは母親の雅子さんと父親の剛さんの2人で面倒を見なければならない。
母の山下雅子さんは言う。
”楽しみはいっぱいあるが、不安。呼吸器をつけて帰らねばいけないことや、風邪をひいたらどうしようとか心配が多い”
退院後の翌日から訪問看護は始まる。
家に帰ると環境の変化から体調を崩す子供は少なくない。
隼人くんも痰の量が増え、苦しそう。
痰が詰まると呼吸困難が起きるため、痰の吸引は大切な医療行為だ。
雅子さんは病院で指導を受けたものの、素人の手ではなかなかうまく行かない。
病院ではたくさんのサポートがあったが、これからは自分たちで行わなければならないのだ。
薬は6種類以上。これを吐き出さないよう鼻のチューブから慎重に与える。
チューブからミルクと薬を混ぜたものを2時間かけて胃へ送り込む。
隼人くんは闘病生活が長かったため、口から食べることはまだ十分にはできない。
片時も目を離せない日々が続く。
雅子さんの1日の睡眠時間はは3時間程。夫と交代で看護するが、ゆっくり眠ることはできない。
隼人くんの担当看護師である川口智子さんに連絡が入った。
昨晩はほとんど寝ていなく、体力の限界に来ていた雅子さん。
今日は訪問看護をお願いし、少し眠らせてもらうことにした。
短時間でも休息を取り、母親の疲れを取るために訪問することも訪問看護師の重要な役割である。
自宅に帰った家族の多くは孤独な看病を続けている。
平原さんは言う。
”いつもそばにいるよ。という安心感を与えるのも必要だと思う。”
隼人くん、痰の量が少なくなってきた。

平原さんが訪問看護を始めたきっかけはある子供との出会いだった。
重い障害で長期入院をしていた女の子。
両親と会うときだけ見せる明るい表情に自宅での生活の大切さを感じるようになった。
しかし、女の子の母親は”何かあったときが怖い”
平原さんは
”サポートが足りないのだ。そのサポートを作っていくべきだ。”と思った。

家に帰る子供の中には長く生きることも難しい子供もいる。
生後1ヶ月半になる光田音花(みつだおとか)ちゃんも重い病気を抱えていた。
「18トリソミー」。18番目の染色体の数が多く、合併症によって1歳までに9割が亡くなると言われている。
母の紀子さんは妊娠8ヶ月の時に病気のことを知らされた。
”最初はお腹の中で死ぬかもしれないと言われていた。”
”重い病気だけど、思った以上にがんばって生きている”
”なるべく長く生きて欲しい。”
心臓に疾患を抱えるものの、容態は安定している。
音花ちゃんは退院することが決まった。
夫の智司さんは
”不安よりも楽しみのほうが大きい”
音花ちゃんの体調を管理するため、平原さんは訪問看護をすることになった。
病院スタッフと地域の保健士で話し合いを行う。
退院の日。
長男の武史くん(2歳)この日初めて音花ちゃんと対面した。
”いもうと!”と笑顔だ。
家に帰ると、”音花ちゃんを抱っこしたい”とせがみ、抱っこさせてもらった。
病院では経験することのできない家族のふれあいだ。
退院から2日後、平原さんが訪問した。
自宅には高価な機材はない。
体調に変化がないか、呼吸や血液中の酸素濃度など全身の状態を確認する。
しかし、音花ちゃんはいつ急変するかわからないので慎重に様子を見ていくことになった。

退院から1ヶ月。
季節の変わり目、鼻水や痰が増えたのが気がかりだ。
冬は感染症が蔓延し、体の弱い子供には厳しい季節だ。
平原さんは週に1回の訪問を続けていた。
心臓が弱く、気温の変化に敏感な音花ちゃん。
1日の大半を室内で過ごす。
「少しでも穏やかな時間を過ごして欲しい。」平原さんは願う。

2011年12月
連絡を受け平原さんが訪問すると、そこにはいつものように変わらぬ表情でベッドに横たわる音花ちゃんが。
しかし、もう呼吸はしていない。
その日の朝まで変わらない生活を送っていた音花ちゃんだったが、
気づいた時には呼吸が止まり、搬送された病院で亡くなったという。
平原さんは家族に言う
”この疾患の方はお家に帰れないまま亡くなる方もいらっしゃる”
”お兄ちゃんの声を聞けて、パパとママと過ごせてよかったね”
まだ理解できない武史くんはいつものように元気な笑顔。
退院から1ヶ月あまり、家族と過ごしたかけがえのない日々だった。

呼吸器をつけての生活が続く隼人くん。
この日、3歳の誕生日を迎えた。
退院から5ヶ月、おすわりもできるようになった。
病院にはなかった一家団欒の中でたくましく成長している。
この日、隼人くんはお腹が張り、嘔吐を繰り返していた。
川口さんは腸にたまった空気を抜く。
お腹が張る原因。それは体調の悪化ではなく、成長の証だった。
気管が成長し、呼吸器のサイズが合わなくなってきたのだ。
順調に回復していれば呼吸器を外すことができるかもしれない。
この日、病院で検査を受けることになった。
検査後、先生が
”良くなってる。今のままなら次のステップに進むことは問題ない”
”まず、昼間は呼吸器を外してみよう。これからは口から息を吐く練習だ”
”普通に呼吸できるようになれば喋り出す”
”これからは機材のモニターの音ではなく、しゃべる声の方がうるさいかも”
雅子さんは
”だいぶ前に進んだ気がする”
”外へ出かけたい”

1か月後、呼吸器を外すことになった。
チューブの代わりにつけるキャップ。
これを通して息を吸って、口から吐くことが出来れば声が出る。
最初は嫌がっていた隼人くん。でも自ら付けてとせがむ。
隼人くんの表情が変わった。
玄関を少し出てみる。
そして、次の瞬間。”あ〜ぃ”
声が出た。隼人くんも嬉しそうだ。
家族との生活がここまで成長させた。
そして、なんと歌まで歌えるようになった。
それを知った平原さんも嬉しかった。

4月
ベビーノは新たに看護士を加え、新年度をスタートした。
さらに多くの子供たちを支援していきたいと考えている。
いリョを必要としている子供たちに対し、在宅での支援はまだ不足している。
”赤ちゃん おうちに帰ろう”取り組みは続く。


赤ちゃんのための訪問看護を追いかけた番組でした。
「せっかく生まれたのだから家で家族みんなで過ごしたい」
そんな思いを叶えるために奔走している平原さんたちの姿が素敵でした。
武史くんは、妹の音花ちゃんが退院できなかったら
音花ちゃんの顔を1度も見ぬまま別れることになっていたでしょう。
まだ2歳の彼にとっては音花ちゃんの死は理解できないかもしれないけれど、
ほんの少しでも一緒に居られたことは彼の成長にとって重要な意味があると思います。


















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posted by ドキュメントまにあん at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | テレメンタリー2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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