2012年08月27日

心に残るアイドルはいつまでも

ザ・ノンフィクション
舟木一夫はタイムマシン〜いつまでも「高校三年生」〜


あなたのアイドルは?
AKB、嵐、小泉今日子、ジュリー・・・
年齢、性別によって様々な答えが返ってくる。
銀座の近く、新橋演舞場に長蛇の列ができている。
アイドル50年、ある歌手のコンサート。
観客動員年間20万人。その男「舟木一夫」67歳。
デビュー曲「高校三年生」を50年たった今も歌い続けている。
ファンの平均年齢は62歳。ファンからステージへのプレゼントもデビュー当時から続いている。
ステージ上はプレゼントと花束の山だ。
舟木一夫は愛想の良い歌手ではない。
なのになぜ?
ファンは答える
”青春時代のすべて”
”若い時にできなかったから”
”カッコイイとかではなく、惹きつけられるものが何かある”
かつての乙女たちが熱狂する秘密、それはそれぞれの人生に隠されていた。
それぞれのあの日・・・

東京府中に住む鈴木恵美子さん(63歳)。
彼女は年間30ステージ以上は観るそうだ。
その原動力は?
”恋よ!”
”私もまだときめくんだわ”
”ドキドキするの”
次女の小枝(こずえ)さん(41歳)も
”見に行く毎に好き度合いが増している”という。
独り占めしたいと思うのか?と問うと
”そりゃそうよ”
と言いながら大画面のTVで船木のステージを振り返る。
ますます盛り上がる恋心。
今日は初のネイルアート。
”握手をするのでキレイにしていきたい”
花束を渡すときに一瞬交わす握手。その時にアピールするためなのだ。
出来上がったのは両方の親指それぞれに一つづつ絵が。
船と木だ。
”気がついてくれればいいんだけど・・・”
これで占めて13,000円。

彼女の忘れられない場面。
それは1枚の家族写真の中に隠されていた。
楽しそうにお弁当を食べる母と娘2人。
真ん中に写っている娘はもうこの世にはいない。
恵美子さんは北海道出身。
舟木に夢中になったのは中学2年の時、毎晩姉と2人で高校三年生を聴いて東京に憧れた。
この時昭和38年、東京オリンピックを間近に控え、街は好景気に湧いていた。
集団就職列車に乗り、地方の若者たちが里を捨て、続々と東京へ出てきた。
そんな時代に詰襟姿で現れたのが舟木一夫。
高校三年生は累計なんと230万枚の大ヒット。青春歌謡ブームに火をつけた。
橋幸夫、西郷輝彦とともに御三家と呼ばれ、人気は社会現象となった。
当時は国民誰もが高校三年生を歌える程だった。
恵美子さんの場合も、憧れを抑えきれず、「舟木さんに会えるかもしれない」と
17歳のとき、一人上京した。
”東京にきたら芸能人がいっぱい歩いていると思った”
”絶対仕事があると信じてたから不安はなかった”
と恵美子さんは当時のことを語る。
彼女が働いていたのは「美人喫茶」と呼ばれる店。
喫茶といってもお酒あり、接客ありの水商売だ。
恵美子さんの仕事は毎晩深夜まで続き、舟木の歌を聴く余裕もなくなっていた。
19歳で店の常連と結婚し、3人の子宝に恵まれた。
ところが、夫が不動産業で失敗し、借金取りが何度も家を訪れた。
さらに夫の浮気も発覚。離婚し、子供たちを抱えて飛び出したものの、
満足な仕事はなく、生活保護を受けてほそぼそと暮らしていた。
そんな苦しい時期でも一切我侭を言わなかった子供たちが有難かった。
当時の様子を子供たちに聞くと。
”おかずがなかった”
”うちはもやし料理が得意なんだな”
その後、恵美子さんは姉とスナックを始め、女手一つで子供たちを育てた。
しかし、経営が軌道に乗り始めた矢先、平成3年1月3日
長女なるみさんが乗っていた車が踏切で電車と衝突。
20歳の若さでこの世を去った。幼い頃から芸能界に憧れていたなるみさん。
母の負担にならないよう高校に進学せず、アルバイトをしながら、タレントを目指していた。
恵美子さんは21年経った今も命日にしか手を合わせないことを決めている。
”死んだことを認めたくないんだろうな”
”何もしてあげられなかった”
今でも反省の気持ちが強い。
彼女は娘の死がショックでスナックを辞めた。
月日が流れてもポッカリと心に穴が空いたまま。
そんな彼女が再び船木を意識した。
姉に薦められて行った御三家のコンサート。
一瞬にして蘇った青春のあの日。
恵美子さんは自分の中に元気が残っていることに驚いた。
彼女は今、病院の看護助手をして働いている。
そして時間があれば舟木のコンサートに足を運ぶ。
失った時間を取り戻すために。
いつも周りに笑顔を振りまく恵美子さん。でも舟木一夫に会う時だけは曇った表情を見せる。
彼の歌を聴くたびに失った娘を思い出すから。
それはあの写真に写しだされた光景。
真ん中には元気な頃の長女の姿。別れた夫が撮ったこの写真には家族みんながいた。
”子供が3人元気でいた頃の子育て時代を思い出す”
”旦那が子供と遊んでくれている当たり前の光景が懐かしい”
舟木の歌は否が応でもあの時を思い出させるのだ。

今年名古屋で行われた中日劇場「舟木一夫特別公演」
演目は「銭形平次」
芝居とショーをあわせた2時間半のステージが1ヶ月半続く。
共演者が笑っている。
そこには平次姿でアイスを頬張る舟木の姿が。
最近のマイブームなのだ。
彼は時代劇の公演を毎年行なっている。
その理由は?
”ファンの求めていることしかやらないと決めている”
”あるときから同世代の方しか向くのはよそうと決めた”
50年前にデビューしてから舟木一夫の代名詞といえば「高校三年生」
どんなに他の曲がヒットしてもそのイメージはいつもついて回った。
彼は30代の頃、高校三年生から離れようとしたことがある。
しかし、それが間違っていると気づいたのは
何十年たってもファンが求めているのは高校三年生を歌う舟木一夫なのだと知ったから。
”僕の歌というよりはお客様の歌になっている”
”流行歌とお客様の間にはそういうものが常にあると思う”
自分あってのお客さんではなく、お客さんあっての自分。
ならば、彼らのためにこの曲を歌い続けよう。
そう考えた彼は同世代の方だけを向くと宣言した。
ファンは皆、自分のために流行歌を歌ってくれている。そう思うからこそ彼に声援を送るのだ。
”各世代で同じ風景の中を歩いてきた人間なら分かり合いやすい”
”そういうところでお客様と繋がっている”
と彼は語る。
舟木一夫に夢中になるファンは毎年増えている。
この日彼が楽屋入りするのは午前11時のはずだが、すでに多くのファンが列をなしていた。
一番早い人は6時から並んでいるという。
彼女らの目的は「舟木を写真に収めたい」
楽屋に入る彼の姿は一瞬だった。特にリアクションも見せない。照れ屋なのだ。
その中に、最近舟木に目覚めたという女性がいた。
熊田春代さん(63歳)1年半前から舟木のファンだ。
彼のコンサートなら日本全国どこまでも追いかける。
春代さんが住んでいるのは静岡県富士市。2年前に夫を肺癌で亡くし、一人暮らし。
2人の間に子供はできなかった。
彼女の場合はこの写真に秘密があった。
マイクを握る夫の勇治さんとその隣でカメラに向かって笑顔を見せる春代さん。
夫には意外な過去があった。
彼女が舟木に目覚めたのは夫勇治さんの死がきっかけ。
夫に先立たれ、どうしようもなく湧き上がる寂しさ。そんな時彼女は夫が残した
ある言葉を思い出した。
”俺は東京に行って「絶唱」歌ってオーディションに受かったけれども大変で断念したんだよね”
その言い方が本当に寂しそうだったので心に残っていたのだ。
亡き夫がオーディションで歌った「絶唱」
舟木の代表曲の一つだ。
春代さんは「絶唱」を生で聴いてみたいとコンサートに行き、ファンになった。
40年前彼女は社交ダンスを通じて勇治さんと出会った。
旅行、ダンス、カラオケどこに行くにも何をするにも二人は一緒のおしどり夫婦だった。
”主人と一緒でなければ何も楽しめなかった”
定年後には夫婦で楽しく暮らそうと約束してくれた夫であったが、59歳のとき肺癌が発覚。
闘病生活中口数の少ない夫がたまに見せる笑顔。それが何よりの喜びだった。
容態が急変した時に夫が見せたガッツポーズ。
その直後春代さんは彼を看取った。
どことなく弱々しく拳を構える勇治さんの姿が今も写真に残っている。
夫を亡くし、舟木ファンになってはや1年半。
コンサートに行けば行くほどその姿に夫が重なっていく。
夫がオーディションを受けたのは17歳。
長年連れ沿いながらも知らなかった夫の青春時代。
興味がどんどん湧いてくる。そして・・・
春代さんは夫の母と食事に出掛け、そこで思わぬ事実を聞かされた。
あのおとなしい性格の夫が大胆な行動を起こしていた事。
”いくら止めてもいうことを聞かずに出ていった”と義母は言う。
彼は当時通っていた高校を中退、親に黙って東京へ家出した。
暮らしていたのは東京の歌舞伎町。
この街でアルバイトをしながら歌手を目指していたのだそうだ。
しかし、半年後父親に見つかり、無理やり連れ戻されてしまった。
”舟木さんの歌ばかり歌っていたんじゃないかな”
”こんなに早く亡くなるのだったら好きなことをさせてやりたかった”と義母は後悔の言葉を残す。
亡き夫が夢を掛けた場所。
春代さんは歌舞伎町に向かった。
かばんの中には夫の写真。当時喫茶店「白馬車」でアルバイトをしていた勇治さん。
その店を知る人がいた。
「とんかつ にいむら」社長の新村武敏さん。
彼に案内された場所はコンビニと居酒屋になっていた。
勇治さんが上京した昭和40年代。
若者が憧る街といえば歌舞伎町。
彼もまた歌手になるための出発地点としてここを選んだのだ。
44年前の夫の思い。春代さんはしばらくその場を離れようとはしなかった。
”夫に「今日歌舞伎町に来たよ」とはなしてました”と春代さん。
若かった夫がオーディションで歌った「絶唱」
実は亡くなる1週間前に春代さんは勇治さんのこの歌を聴いていた。
夫婦が最後に行った温泉旅行でのことだった。
夫の面影を重ね、春代さんは自分が死ぬまで歌い続けて欲しいと願っている。
舟木は1ヶ月の公演の間よく行くというパチンコ。
40代の頃から始めたのだという。酒もタバコもやらない彼にとって息抜きができる数少ない時間。
”勝ち負けに関係なく、自分の空気を変えたい”
40代になる前は息抜きも考えられないほど悩んだこともあった。
その歌い手人生に大きな転機が訪れていたのだ。
歌手10年目のある時期信頼していたスタッフとの間にトラブルが続き、ヒット曲が出せなくなっていた。
そこに追い打ちをかけた紅白の落選。
彼は喪失感に襲われ、歌手をやめようと思った。
”一生の仕事として俺は通じないのかもしれない”
”このまま辞めてしまおうか”
彼は辞める前もう一度だけステージに立とうと決意した。
ところが、”がんばれよ”客席からは思わぬ声援と拍手が彼に掛けられた。
石や野次が飛んで来ると思っていた彼にとっては意外な反応だったのだ。
歌手を辞めるのを踏みとどまったが、10年間泣かず飛ばずの不遇の時代が続いた。
そんな時でもファンから飛んでくるのは激励の声が。
”舟木一夫をまだ受け止めてくれる人がいる。なのに俺は”
この思いがエネルギーとなっていった。
不遇の時期でも見捨てなかったファンに対し、同世代の方だけを向くと宣言した舟木。
ファンが一途なのではない、不器用な舟木のその一途さにファンも応えるのだ。

東京に住む関川静子さん(64歳)
娘の未来(みき)さん(30歳)もファンです。
”失敗するのが怖いって言ってる自分が情けない”
”舟木さんはそういうことを教えてくれる”
静子さんが舟木に熱狂する理由。それは25年前に訪れたどん底の時代にあった。
多額の借金を家族は背負うことになる。
静子さんは板橋区に家族3人で暮らしている。
彼女は現在の夫である収一(しゅういち)さんも舟木のファンだったことが縁で付き合い、41年前に結婚した。
当時収一さんは舟木に似ていたんだそうだ。
結婚して4年後、コンピューター会社を立ち上げた収一さん。
静子さんも看護師の仕事をしながら彼を支えた。
しかし、その10年後に夫の会社は倒産。借金は3,600万円にもなった。
精神的にも追い詰められ、10歳の娘に放った言葉は忘れられない。
”2人でいっしょに死のうか”
しかし娘は
”いやだ!未来は死なない。お母さん一人で死ねば”と答えた。
そして彼女はストレスで倒れ、入院してしまった。
このころ世の中はバブル景気を迎えようとしていた。
しかし、静子さんの家族はどん底を彷徨っていた。
辛い時に聴いていた舟木の歌がある。
”風のワルツ”だ。
彼女は今も毎日のように聴いている。
”悲しい歌なんだけれども聴いてしまう”と言う。
辛かったあの頃を思い出してしまうのだ。
あれから25年、収一さんが新たに立ち上げた会社はようやく軌道に乗り、家族の生活は落ち着いている。
しかし、このとき夫の体にはある異変が起きていることを家族は知らなかった。
静子さんは娘のことに気を取られていた。
これまで親の都合で苦労ばかりかけてきた娘も36歳。婚活を頑張っているがまだ良い人が見つからない。
何も話さない娘にしびれを切らし、静子さんは聞いてみたが、当の本人の口からは
”その話はしない”と一喝されてしまった。
娘に掛けた苦労を思うとこれ以上強く言えないのが本音。
親として娘に何をしてあげられるのか。悩む日々が続いていた。
そんな静子さんに夫の病院から知らせが。
直腸に腫瘍が見つかったのだ。
またどん底の記憶が蘇る。
摘出手術の日。
がんの可能性があるかどうかを見るための手術だ。
摘出された腫瘍を調べてみると、どうやら良性のものだった。
”不幸中の幸い。人生はこんなもんだ”
舟木の歌を聴いて50年。苦労が9割、幸せが1割の人生だったと静子さんは語る。
夫の手術から10日あまり、この日は41回目の結婚記念日だ。
サプライズに収一さんと未来さんで作った食事を出す。
静子さんが大好きなひじきの煮物と肉じゃがだ。
実は25年前にも収一さんが同じ料理を作ってくれたことがあった。
ストレスで倒れた時にもこの料理で励ましてくれたのだ。
彼女が今も舟木を聴くのは辛い思い出と共にこの幸せも思い出すから。
命を絶つことさえことさえ考えたあの日。

舟木一夫に熱狂するかつての乙女たち
彼女たちに共通していたのは誰しも悲しみを乗り越えてきたということ。
今だからこそ辛い思い出が懐かしくなる。
それを思い出したいから。
船木を照らすスポットライト。それは彼を照らしてはいない。
そのスポットライトはファンの人生を照らし出していたのだ。
彼は知っている。ファンが自分を通して愛おしい思い出に会いにくることを。

さあ今一度みんなで歌おう!高校三年生を。
主役はあなたの青春だ。

御三家と言われたうちの一人
舟木一夫の熱烈なファン3人を追った番組でした。

舟木一夫氏の曲といえば、
私でも「高校三年生」、「銭形平次」くらいしか知らない
失礼ながら団塊の世代の過去のアイドルです。
その彼に今だに信じられない数のファンがいるなんて信じられませんでした。
歌手や俳優には
「新曲はどんなものだろうか?」
「今回はどんな役をやってくれるのだろうか?」
などファンの期待に答え、
毎回趣向を凝らして新しいことをやり続けていかねばいけないものかと思っていました。
しかし、「何も変わらないこと」が求められ、
それを忠実に叶えることでファンが満足するという舟木一夫氏のコンサートには
今までの固定観念を打ち砕かれ、心底驚かされました。
皆それぞれの思い出を彼の曲に重ね、懐かしむ・・・
その時代でしか経験できなかったことをその時代を共有した人々と一緒に。

ある程度人生を経験してきた方々にとっては
もしかするとこれがエンターテイメントの究極の姿なのかもしれないですね。

今度機会があったら彼の曲をゆっくり聴いてみることにします。


















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posted by ドキュメントまにあん at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ザ・ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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