2012年07月19日

炎上を力に変えるピエロ

ザ・ノンクション
倒産ピエロ〜夢の終わり。そして〜


子供の頃、誰もが胸踊らせたサーカス。
懐かしいと思う人も多いはず。今も子供達には憧れの世界です。
はらはらドキドキ手に汗握る光景がたまりません。
大人も思わず子供に戻ってしまう。
正に夢の殿堂です。
しかし、突如信じられない現実が。

2010年8月
岩手県盛岡市。
ここで公演を行なっているのが「キグレNEWサーカス」。
思わず息を呑むアクロバット。命がけのパフォーマンスに目が釘付けになってしまいます。
子供達にとって夢の世界。まるで宝箱のようです。
そんなサーカスに憧れて2年前に入団したのが、全身ピンクがトレードマークのナナさん(24歳)。
愛らしい笑顔で今やキグレの花形です。
高さ10メートルにもおよぶ空中ブランコが最大の見せ場。
実はナナさん、こう見えても、学生時代は2重飛びも逆上がりもできなかったんだそうです。
運動は小さい頃から大の苦手。それでもサーカスを目指したのは高校生の時に見たピエロの笑顔でした。
見たことのない笑顔でバイバイしてくれた時に自然に涙が溢れてきて、
その日からピエロに心を奪われてしまったといいます。

2ヶ月毎に移動するサーカスの興行。ナナさん達の住まいは
すぐ移動できるようサーカスの裏に設置されたコンテナハウスです。
ここで35名の団員とその子供たちが家族のように暮らしています。
まるで昔の長屋住まいのようなサーカス村。
その昔は着の身着のまま飛び込んで来た者もいたとか。
今もここには様々な事情を抱えた者達がいます。学校を中退したもの、世間のレールから少し外れてしまった者達が
肌を寄せ合い、共に暮らしているのです。
実はナナさんも幼い頃から自分の居場所をずっと探し続けていました。
仲の悪い両親の顔色を伺いつつ暮らし、いつかは自分で自分の居場所を見つけようともがいていたのです。
そんな心のモヤモヤを抱えていた時に目にしたのがキグレNEWサーカスでした。
ナナさんが見た8年前のキグレは団員の数も倍以上。ゴージャスな舞台はナナさんにとって
ニチジョを忘れさせてくれるまるで魔法で作られた世界だったのです。
希望の光。ナナさんにとってまさにそれがサーカスだったのです。
高校卒業後、サーカス学校で訓練を積み、やっと入団。
ナナさん、やっと自分の居場所を見つけました。

衣装も自分で作ります。
他の団員の衣装も進んで作ってあげます。自分が必要とされているこの場所にいられることがなによりも嬉しいのです。
こうして支えあって暮らすサーカス村。
しかし、以前と比べ、様変わりしたといいます。
古き良き時代を知るのが親子でオートバイショーをする芸歴23年の慎二さん(44歳)
昔は住まいもテントで、当時はサーカス村も今より活気に溢れていたそうです。
サーカス村通りでは各テントから宴会の声が聞こえ、どのテントへ行ってもお酒をご馳走して貰えたといいます。
今はそういうことをする人間が居なくなってしまったそうです。

2010年10月。
サーカスに大変なことが起きました。
コンテナハウスの周りはゴミが散乱、人の気配もありません。
どのコンテナももぬけの殻。
実はこのとき、5億8000万円もの負債を抱えてサーカスは倒産していたのです。
すでに団員達は夜逃げをした後。
あまりにも突然すぎる出来事でした。

それから4ヶ月、栃木県那須塩原の温泉街にナナさんの姿がありました。
月に数回、ホテルの宿泊客を相手にショーをしていたのです。
サーカスをモチーフにした一人芸でがんばっていました。
出演料は1日わずか一万円。だから宿泊客がくれるおひねりも貴重な収入源です。
サーカスとは違った大道芸の世界。
道具の持ち出しから一人でやらねばなりません。
倒産後は別の仕事も考えたナナさんですが、不安定でもピエロの仕事で生活したいと心に決めました。
キグレNEWサーカスを復活させたい。それがナナさんの思いです。
倒産後は栃木県宇都宮市にある実家に戻ってきたナナさん。
6年ぶりの実家です。
ナナさんの母親は成長して帰ってきてくれた娘を見て、サーカスに感謝しています。
一方、実家に帰ってきてもサーカスのことを片時も忘れずに考えているナナさん。
あこがれのピエロの映像を見るたびに出会った時の感動が蘇ってきて元気づけられます。
今も忘れられないあの笑顔。少しでも近づきたい。それが今の目標です。
しかし、ピエロだけでは生活できません。
早く実家を出て、一人暮らしをしたいと思っていますが、今は近所のスーパーでアルバイトをしています。
そんなナナさんを支えてくれる心強きパートナーがいます。
ヨシ君(25歳)です。
ジャグリングの世界大会で3位になったほどの腕前の持ち主です。
実はナナさんと4年以上付き合っている恋人同士でもあります。
サーカス倒産以来、ナナさんをサポートし続けています。
彼は彼女のやりたいことに協力し、応援したいと言います。
大道芸で生活しているヨシ君、ナナさんの練習にも献身的に付き合ってくれます。
ヨシ君はナナさんにとって唯一かけがいのない存在です。

この日、ナナさんはヨシ君を誘ってキグレNEWサーカスの最後の公演の地となった盛岡の跡地へ向かいました。
サーカスのあった場所はもうすっかり雪で覆われていて、サーカスの面影はありませんでした。
ナナさんがここに来たかった理由。
それは、キグレNEWサーカスを忘れさせないため。風化させたくないからでした。
あらためてナナさんはここで再起を誓ったのでした。
帰りは盛岡市内を二人で観光。

しかし、日が経つに連れ二人の仲はだんだんギクシャクしていきます。
一緒に行うイベントでも目を合わそうともしません。
打ち合わせもケンカ腰。
こんな険悪なムードのままショーが開始されます。
もちろんうまくいくはずもありません。全てが空回り、何度やってもうまくいきません。
お客さんもこれには呆れ顔。
こんな仕事ぶりに疑問を感じている人がいました。
ナナさんをサポートし続けてきた乃木温泉ホテル・支配人の田原直之さん(38歳)です。
”彼女たちはお金を稼ぐことの大変さがわかっていない”
”人間としてダメとかではなく、まずプロとしてダメ”
きつい言葉が突きつけられます。
そうとは知らずに今日は県道沿いでピエロ。本人はいつでも一生懸命なのです。

そんなナナさんにまた試練が待っていました。
2011年3月の震災で自宅が大変なことになってしまいました。
家屋は半壊、塀も全て崩れ落ちていました。
もちろんピエロの仕事も全て中止。
世の中が大変なときに必要とされないピエロ。
結局肝心なときには役に立てない存在なのでは?という現実に押しつぶされそうになっていました。
仕事がなくなったナナさんに更なる追い打ちが。
ヨシ君から別れ話を切りだされたのです。

群馬県みどり市にある沢入国際サーカス学校。
卒業生のヨシ君はここを稽古場にしていました。ナナさんと出会ったのもこの場所でした。
どうしてナナさんと別れたのでしょうか?
”芸に集中できない”
”海外を目指す自分のことで精一杯なのでナナさんを構ってやれない”
それが別れの理由でした。

あれからショックで塞ぎこんでいたナナさん。これからは一人ぼっちです。
寂しい思いを胸に、それでも仕事を開拓しようとこの日初めて営業に出掛けました。
場所は「LOCOMARKET」大型のショッピングモールです。
そこのおみやげ販売コーナーで担当者と話をします。
”今の世の中、そんなに甘くないからね”
”今すぐここで何かできるの?”
”意気込みとか気持ちが大事だから”
矢継ぎ早に質問攻めにあい、何も答えられぬままあれよあれよとエプロンを渡され、
店頭で試食販売をさせられていました。
商品の説明もままならないまま一生懸命に薦めます。
ジャンケン大会にも駆り出されました。
その後、結局仕事の依頼はありませんでした。
ピエロの仕事もなくなってしまい、ナナさんから笑顔が消えてしまいました。
しかし、そんな折ある依頼が舞い込んできたのです。

2011年4月。
場所は岩手県宮古市。津波で壊滅的な被害を被った地域にナナさんの姿がありました。
そこに住む工藤孝雅さん(47歳)。サーカス時代からのファンで、
避難所の子供たちを元気づけて欲しいとナナさんに依頼を持ちかけたのです。
サーカス時代の仲間とともに、ピエロの扮装をして避難所へ向かいます。
緊張を隠せないナナさん。やってきたのは避難所になっている地元の小学校。
子供からお年寄りまで200名が避難所生活をしています。
この日はわざわざ舞台を用意してみなさん待っていてくれました。
緊張の中、ショーの開演です。
子供たちも盛り上がっている様子。上々の滑り出しです。
学校の校長先生を舞台に上げると、子供たちも大爆笑。
ここにいるのは家族や家を失った人々。でもこのときばかりは目を輝かせてみんな大喜び。
笑いたくても笑えない日常を過ごす子供たちにほんのつかの間だけ笑顔をプレゼントできました。
この日4ヶ所の避難所を回ったナナさん。どこへいっても人気者です。
今回は工藤さんに頼まれて被災者を励まそうとやってきたナナさん。
しかし、反対にここの人々に会って気付かされたことがあったそうです。
”被災した方々は復興しようと毎日前進しているのに、自分は全然前に進めていなかった”
”ここへきて変われた気がする。来てよかった。”
ショックな出来事が続き、ピエロを続けていくことに自信を持てなかったナナさん。
しかし、子供たちの笑顔に救われました。

2011年5月
東京・町屋。この日ナナさんはサーカス学校時代の先輩が作った稽古場に来ていました。
実は都内最大の大道芸人の大会に出場し、空中ブランコを披露する機会が巡ってきたのです。
チャンスを作ってくれた先輩のジェンさん(36歳)
練習後、この先プロとしてやっていけるか、不安をジェンさんに打ち明けました。
”お金のためにやるんじゃない”
”ショーをやって楽しんでもらったその対価としてお金を貰うと考えろ”
それを聞き、ナナさんの仕事に対する意識が変わってきました。
2011年10月倒産から1年
ナナさんは大きな舞台に立っていました。
「三茶de大道芸」都内最大の大道芸人フェスティバルです。
会場は600席もあるりっぱな劇場。
1年ぶりにスポットライトを浴びて、大観衆の前で空中ブランコを披露することができたのです。
多くの人に笑顔を届けたい。被災地でみた子供たちの笑顔。
客席にはあの親子でオートバイショーをしていた慎二さん一家も。
会場にはお母さんの姿もありました。
68年の歴史で最後のピエロとなったナナさんは再び夢の舞台を追い求めます。

2012年2月
東京・町屋にナナさんは上京してきました。
ジェンさんのところで一から修行をしようと貯金をはたいてやってきたのです。
家賃は55000円。
”まだまだ生活は苦しいですが、弱ってないです”
”絶対あきらめないと決めたんで迷いはないです”
どうやらナナさん。決意を固めたようです。

夢見る者にはどこか輝きがあります。
あの子供たちの眩しいほどの笑顔。
その笑顔を胸にナナさんがあきらめない限り、夢は終わらないのです。



久々の更新です。
この回はネットで炎上しました。
理由は、ナナさんが営業に訪れた先の担当者の態度でした。
あまりにも上からの発言の連続。結局ピエロはさせてもらえなかった事実。
しかもただで店頭販売をさせたのではないかとの疑いもあり、
ネットで大々的に叩かれてしまいました。
現在はお詫びとご報告ということでこのように書かれています。
ここで誰が悪いとか語るつもりはありませんが、
実はナナさんにとって良い宣伝になったのではないでしょうか?
番組とネットを通じてただで営業できたと捉え、これから勢いに乗って欲しいですね。

しかし、有名なキグレサーカスがこんな惨状だったとは知りませんでした。
シルク・ドゥ・ソレイユのようなものが先端を走り、
古典的なサーカスはもう遺物となってしまうのでしょうか。
まだまだ修行が必要なナナさん。
はたして彼女の頑張りだけでサーカスが再び脚光を浴びることができるのでしょうか?
その重圧をナナさん一人で抱えるには荷が重すぎます。
他の協力者を募り、協力してやっていければ復活するかもしれません。
今後、良い知らせが聞こえてくることを願います。


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posted by ドキュメントまにあん at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ザ・ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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