2012年04月18日

テレメンタリー2012 3・11を忘れない〜被災した球児の一年〜

津波で両親を失い、故郷を離れた一人の学生。
高校野球がつないだ仲間との絆。
ある高校球児の一年を追った。

岩手県で最も被害の大きかった陸前高田市。
1500人以上の命が失われた。
岩手県立高田高校。
3階立ての校舎は全壊。生徒、教師合わせて23人が犠牲になった。
野球部の室内練習場は一時的に避難所となり、300人が身を寄せた。
その後、グラウンドは野球をする場所ではなくなった。
仮設住宅が建ち、被災者の生活の場となった。

そんな高田高校の野球部に所属していた管野明俊くん(18歳)
呉服屋を営んでいた自宅は全壊、父親の遺体は震災後一週間で見つかったが、
母親の死が確認されたのは夏のことだった。
彼はチームに別れを言えぬまま陸前高田市を後にした。

2011年5月
彼は栃木にいた。
伯父の家に弟と一緒に身を寄せていた。
彼が新しく通っているのは栃木県立小山高校。
野球をやめようと思ったが、新しい仲間とともに最後までやりぬくことを決めた。
家族を失った悲しみを心に押し込めるように笑顔を浮かべる。
伯父の橋本正一さんは、
昔から明俊くんは誰とでも明るく接する人に気をつかう子だったと語る。
そんな彼のことを思い、涙を流す橋本さん。

明俊くんに今の思いを聞いた。
もう高校生なんだから自立していかないといけない。
そして自分がしっかりして周りを明るくしなければという気持ちが強い。
辛い時もあるが、もっと辛い人もいる。
自分はまだ幸せだから弱音は吐けない。
そんな気持ちで毎日を過ごしていたのだ。

2011年6月
夏の大会を前にした練習試合が行われた。
この日、明俊くんは初めてマウンドへ上がった。
実はこの試合、夏の大会に出られない3年生の事実上の引退試合だ。
彼は補欠チームのエースとして9回を一人で投げきった。

2011年11月
明俊くんは高田高校に呼ばれ、岩手に帰ってきた。
高田高校の仮校舎は大船渡市立根町、
そこでの引退試合に招待されたのだ。
再びユニフォームに腕を通し、笑顔が広がっていく。
試合の終盤、絶好のチャンスでレフトの頭上を越える満塁ホームラン。
野球を続けてきてよかった。
そう思うとともに、ふるさとへの思いが強くなった。

2012年3月
小山高校の卒業式。
明俊君の表情は晴れ晴れとしていた。
同じ日、高田高校でも卒業式が行われた。
その様子がメールで明俊くんの元にも届けられた。
卒業後は新潟の大学に進学が決まった。
4月から伯父の家を出て一人で暮らすことを選んだ。

翌4月
新潟の大学。
卒業を機に彼は初めて自分と向き合った。
最終的に陸前高田に戻って復興させるのが彼の願いだ。


両親を亡くしても健気に生きる明俊くんの1年を追った番組でした。
震災後、ドキュメンタリー撮影部隊は各地へ散り、取材対象を決めて
今まで撮影を継続していたのでしょうね。
ボランティアや被災者の方々には決して良い目で見られなかったでしょうが、
彼らの取材のおかげで、我々視聴者は1年経った今でも
震災を風化させずに済むのではないでしょうか?






















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posted by ドキュメントまにあん at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | テレメンタリー2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする