2012年04月02日

テレメンタリー2012 闘う先生

福島県南相馬市にある産婦人科 原町中央産婦人科医院。
院長の高橋亨平先生(73歳)
がんを患いながら震災直後から診療を続けてきた。
がんと闘いながらこの地で診療を続ける姿に密着をした。

原発事故で南相馬市は市のほとんどが非難区域となった。
多くの住民が避難し、7万人いた住民は一時1万人に減少した。
薬品が市内に入らなくなり、ほとんどの病院が診療できなくなった。
そんな中、原町中央産婦人科医院は診療を続けてきた。
高橋先生は薬品が切れた後、猪苗代町へ非難するが、3日後には南相馬市へ戻ってきた。
薬は福島市から自衛隊によって運ばれた。
病院に戻った理由は一つ
「医者だから」

2011年5月、先生の体にがんが見つかった。
診療の合間を縫って福島市にある病院へ抗がん剤治療を受けに通う。
直腸と肝臓と肺が冒されていた。
抗がん剤の投与には5,6時間かかる。
体力は落ち、副作用でさまざまな症状が出てくる。

先生は南相馬市のこの病院で30年間働いてきた。
月に30件以上あった妊婦の診療も今では月に1件となってしまった。
しかし、先生に取り上げて欲しい と
夏ごろから少しづつ患者が戻ってきた。

妊婦がこの地で安心して出産できるようにするため、
先生は教師やボランティアに協力をお願いし、患者の家を除染した。
山のそばの家では木が多くなかなか除染が進まない。
そこで先生はある作戦を考えた。
レントゲン室の壁紙に使用する素材で作った特注品のカーテンを使おうというのである。
鉛の入った防線カーテン。
費用は先生が負担している。
これまでに負担した金額は200万円にものぼる。

今回の震災では多くの患者や知人が亡くなった。
その人々が置かれている死体安置所で多くの死亡診断書を書いた。
そんな中、生まれてくる命を支え続けていこうとあらためて心に誓った。

2012年、仕事はじめの日にも出産が。
ポンプで抗がん剤を投与しつつ診察を続ける。
震災後31番目の赤ちゃん。

先生は震災からの復興と再生を願う。


被災地で自分のがんと闘いながら患者と接する先生。
人生を懸けて仕事に臨んでいます。
いわゆる「覚悟」ですよね。
私にはそんな覚悟を持って仕事に向かえるのであろうか?
自分自身に問いかけずにはいられませんでした。

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posted by ドキュメントまにあん at 00:00| Comment(0) | テレメンタリー2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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