2012年04月09日

ザ・ノンフィクション 花嫁のれん物語3


北陸 石川県金沢の奥座敷能登にある和倉温泉。
創業明治18年の老舗旅館「多田屋」に嫁いだ佐永子さんの
視点で語られるシリーズの第3弾。

今回は前回の放送から震災を挟んで現在までの様子を放送。

6年前、2006年4月
千葉県で会社員の両親の下に生まれた佐永子さん。
看護師として働いている中、夫と出会った。
結婚後、2人はすぐに夫健太郎さんの実家、多田屋へ。
すぐに佐永子さんの女将修行が始まった。
半年後にデビューした。
その最初の客は、お義母さんのはからいで佐永子さんの両親だった。

跡継ぎを期待されるプレッシャーの中、
4年の不妊治療の結果、娘の光希ちゃんを出産した。

2011年冬
嫁いで5年目になり、佐永子さんは
これまでの若女将の仕事だけでなく、実践的な仕事をすることに。
おもてなし部門として女将と並んで仕事をする。

専務である夫とともに新しい多田屋を始めた矢先に起こった大震災。
自粛ムードの中、いつもにぎわう春のシーズンでも客はまばらな和倉温泉。
キャンセルも相次ぎ、その結果4月多田屋も休館。
能登半島沖地震以来の休館だ。

健太郎さんは個人客のリピーターを増やそうと、インターネットでの営業に力を入れる。
一方社長である父親は旅行代理店へ営業をかけ、一気に大口の顧客を得たい。
2人の気持ちは別の方向を向いていた。
両者の方向は違うが、お互い成果を上げ始め、再び多田屋に活気が。

新しい多田屋を目指す健太郎さんにはまた問題が。
古い味からの脱却を図るため、健太郎さんは古くから働いていた料理長に辞めてもらった。
すると、料理長とともに弟子の料理人も辞めていってしまった。
更に後任を予定していた人物にも断られてしまった。
顧客が戻り始めたのにも関わらず、調理場には誰もいない状態が。

2011年夏
健太郎さんは料理長不在の状態に悩んでいた。
いまだに見つからないのだ。
調理場だけでなく、いたるところで人員が不足している。

秋に入り、本格的に料理長探し。
健太郎さんは面接をするため長野へ向かった。
もう10人目だ。
知人に紹介された酒井誠史さん、健太郎さんと同じ年の35歳だ。
彼は健太郎さんの誠実さに感銘を受け、料理長として多田屋に来てくれることになった。
ようやく料理長が見つかった。
2012年元旦
多田屋では新年に特別な料理を出す。
いよいよ多田屋が健太郎さんの時代生まれ変わるときが来た。
酒井さんが考案した料理が次々と客室へ運ばれていく。
結果、料理は大評判に。

世代交代を目指す健太郎さんとは違う方向を向いていた社長に
佐永子さんはあるものを渡す。
社長は営業先の車の中でそれを開けた。CDだ。
ラジオ番組の録音だった。
エフエム石川「ドリームクライマー」健太郎さんが出演していた回だ。
東京で過ごしていた辛い時期に、
父親から電話越しに言われた言葉を胸にがんばってきたという内容だった。
「信念のひとかどを持て」
健太郎さんはそのことを心の支えとして今までがんばってきたのだ。

いろいろな事を言ってきたけれど、
ひとつでも彼の中に残っていてくれたのが嬉しかったと語る社長。
佐永子さんは旅館の経営よりも、まず家族の絆をもう一度見つめなおしてもらいたい。
その気持ちでCDを渡したのだ。

6年前、両家の挨拶まで済ませ、結婚式の日も決まっていた人がいたにもかかわらず、
健太郎さんとの結婚を決めた佐永子さん。
何よりも家族を大切にする健太郎さんの大きな愛に賭けたのだ。
「愛することは信じること」
「家族の幸せは私の幸せ」
愛する家族と多田屋をいつまでも守っていきたい・・・

今は2人目の子供を計画中だ。


この地方に伝わる「花嫁のれん」というしきたりを通して、
家族の絆を語るこのシリーズの3回目。
番組の主役、佐永子さんは非常によくできた人だと思います。
看護師として働いてきたせいか、すごく根性があり、なんでも精力的にこなします。
この人を番組の中心として扱ったのは正解だと思います。

誰も悪い人はいないのにギクシャクする家族。
我々の周りにもよくある光景だと思います。
みんなが少しずつ心を開いていけば解決するんでしょうが、
それがなかなかできないんですよね。

また続編を期待しています。



















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posted by ドキュメントまにあん at 08:25| Comment(1) | ザ・ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月05日

テレメンタリー2012 3・11を忘れない よみがえれ!荒波に眠る宝もの

外海でカキの養殖を行う石森さん
通常の養殖とは全く異なる方法だ。
荒波に揉まれることで味が変わってくるという。
その名も「荒波牡蠣」

あの震災の日、すべてが流された。
石森さんが一番ショックだったのは牡蠣処理場を失ったことだった。
牡蠣は徹底した衛生管理の下で出荷されるのが法律で義務付けられている。
その処理をする場を失ったのだ。

漁をやめてしまおうか・・・そう思ったことがあったが、
まだやり残していることがあった。
後継者である息子への技術の伝承だ。
息子だけではなく、多くの人々にも教えている。

処理場を再建すべく役所へ掛け合う。
想定額は1億円、2/3の補助を約束してくれたが、1/3の金額ですら捻出が難しい。
地元ラジオ局で支援を訴えた。
東京にも足を運び、東京労福協五団体セミナーで訴えた。
石森さんが考えたのは1口1万円からの「荒波牡蠣オーナー制度」
1万円でオーナーになった場合、
5000円は処理場建設への資金、残り5000円で卸値の牡蠣が届く。

3年前に奥さんを亡くし、仮設住宅で暮らす石森さん。
2人の息子とも現在は離れて暮らしている。
年末、たった一人で過ごす年越しは初めてだという。
一人で年越しそばをすすり、紅白歌合戦を見て涙ぐむ。

年明け1番の漁でよい牡蠣が採れた。
津波が体積していたヘドロを押し流してくれていた。
結果、牡蠣は格段においしくなっていた。

喜びもつかの間、処理場の建設が驚くべき事態になっていた。
なんと建設費が2倍ほどにふくれあがっていたのである。
人手不足、材料費の高騰により、単価が上がってしまうのだという。
日当10万円でも大工が確保できないのだ。
一緒に資金を出して再建しようとしている仲間のところへ説明にいくと、思わぬ反対があった。
息子の隼人さんはじめ若い漁師達からの反発だ。
彼らは費用の高騰に納得できないのだ。
思わず声を荒げる石森さん。
若い漁師達と溝ができてしまった。
肩を落とした石森さんに引退した父親が声をかけ、再び再建を誓う石森さん。

35年間牡蠣一筋でやってきたが、今年からわかめ漁を始めることにした。
息子、父親も一緒だ。
一緒に漁にでることでわだかまりも消えてきた。

震災から1年。
牡蠣はいつでも出荷できる状態にまで回復した。
今は処理場がないので地元の人達にふるまうだけだが、
牡蠣を食べて喜んでいる人達の笑顔が牡蠣漁復活を支えてくれる。



1年で漁が再開できるまでに復活できたのは驚きました。
外海で養殖していたからなのでしょうか?
天候や地震に左右されてしまう仕事は突如ひっくり返る可能性があります。
今回は自然を相手に仕事をする大変さが理解できた回でした。






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posted by ドキュメントまにあん at 10:55| Comment(0) | テレメンタリー2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月04日

NNNドキュメント 仰げば尊し

まるでヤクザのような風体で歓楽街を闊歩する男。
しかし、酒もタバコも一切しない。
三輪光教諭47歳。 
兵庫県立飾磨(しかま)工業高校の教師だ。
部員3人でスタートした柔道部を定時制高校の全国大会3連覇という偉業を成し遂げた男である。
柔道部は実績のある生徒を集めている訳ではない。
かつて不良だったり、道を踏み外した生徒達だ。

最大の目標は夏の全国大会で優勝すること。
部員の1人、西岡礼央(れお)くん3年生。
かつては地元で評判の問題児だった。
彼は中学時代、両親の離婚をきっかけに荒れた生活を送っていた。
毎日喧嘩に明け暮れ、隣の中学に殴りこみをかけたこともある。
周囲が見放す中、声をかけてくれたのが三輪先生だった。

2011年7月
全国大会が近づく。
3年生にとっては最後の大会だ。
礼央くんは団体戦でも個人戦でも出場の予定だったが、
練習の最中、右のひざに激痛が。
大会まであと10日なのにじん帯を痛め、2週間の安静を言い渡された。

全国大会当日。
この大会には予選を勝ち抜いた300人以上が参加する。
まだ完治はしていないが、礼央くんも出場。
団体戦が始まり、礼央くんの一本がきっかけで一気に勝利を決めた。

個人戦。
礼央くんは接戦の末、敗れてしまった。
涙に沈む礼央くんに先生は
「よくがんばった。堂々と胸を張れ」

礼央くんは言う。
この3年間、三輪先生の下で教えてもらって自分を見つめることができるようになり、成長できた。
試合後、離れて暮らす父親も彼の元へ駆け寄り、声をかけた。

結果、団体戦4連覇を果たした。

2012年3月卒業式、
柔道部全員が就職を決め、巣立っていく。

新学期、また新たな生徒達が入学してくる・・・



たまにこのような型破りな教師はTVで紹介されますね。
一般社会ではかなり異質な存在であり、
もし、通常の会社員だとしたらうまくやっていけない部類の人かもしれません。
でも、教師という立場においては生徒達からの絶大な信頼を得ています。
他の教師は足元には及びません。
私が学生の頃にもこのような教師は存在しました。
今考えると、とても常識外れなことをやらされていたのを思い出します。
しかし、中学生、高校生の頃は学校以外の環境に触れる機会が少なく、
自己の考えも確立していない、人間として中途半端な時代です。
この方のようにグイグイ引っ張ってくれる環境で学ぶ時期も必要なのかもしれないと
思いました。






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posted by ドキュメントまにあん at 12:34| Comment(0) | NNNドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする