2012年04月23日

ザ・ノンフィクション それでも「春」を信じてる

大分県大分市
一軒のアパートがある。
様々な事情で家族を失った少年少女を受け入れ、
自立を支援する施設「ふきのとう」だ。
彼らはここで20歳になるまで共同生活を送る。
8年前NPO法人として申請し、30名余りを受け入れてきた。
澤田正一さん(50歳)と妻の加代さん(49歳)で運営している。
結婚23年目になる澤田さん夫婦。
出会いは友人の紹介。
2人の結婚には最初は反対の声もあった。
その後儲けた2人の息子は下宿生活をしている学生だ。

2010年11月
ショウタ君(17歳)がやってきた。
8年近く養護施設で暮らしてきたが、義務教育を終え、
進学しない場合は施設に留まることはできない。
ふきのとうはそんな若者たちのための施設だ。
何よりも大切にしているのは家庭らしい温もり。
寮母である加代さんの手料理が振舞われる。
これまでの生活とは勝手が違うので慣れるまでには時間が必要だ。
仕事が見つかるまでは生活の基本が身につくよう、ゴミの出し方や掃除の方法を教える。
本来、それを学ぶための存在だった家が彼らにはなかったのだ。

国の補助金でやりくりしているNPOの経営は楽ではない。
アルバイトなどで若者が負担する額は月3万5千円、
澤田さん夫婦が彼らの携帯電話料を建て替えることも少なくない。
澤田さんが寝起きしているのは同じアパートの1室である。
つまり、澤田さんの24時間はふきのとうに当てられているのだ。

数日後、ショウタ君は澤田さんの紹介でガソリンスタンドで働き出した。
真面目に働き、自立して生活できるようになる。そこまでがふきのとうの役目だ。

アルバイトが休みの日、澤田さんはショウタ君を車で連れ出した。
行き先は市内から2時間あまり、山間の小さな村。
そこはショウタ君が幼い頃過ごした家だった。
施設に預けられる前、祖父母と暮らしていた家は今ではもう廃屋になっていた。
両親がいて、姉がいたはずの食卓。
誰もいない家に入り、家族の写真を見つけた。
たった1枚だけの家族の写真。
ショウタ君の父親は自殺、母親は病に倒れた。
写真の中には笑顔のショウタ君が。たった短い間でも家族に愛されていた証拠だ。
言葉が少なくなっていく澤田さん。
実は澤田さんは両親の顔すら知らないのだ。
澤田さんが知っているのは戸籍に書かれた父親の名前だけ。
これが、澤田さんに両親がいたという唯一の証拠だ。
両親とも早くにこの世を去っていた。
2歳の時両親が離婚、ショウタ君と同じく澤田さんも施設で育った。
澤田さんは言う
もし、自分がこういう環境のもとで育っていなかったらふきのとうを作ろうとは思わなかっただろう。

澤田さんのところで生活する若者の中の1人。
ふきのとうで暮らし始めて3年になるナオキ君(19歳)
澤田さんは野球の独立リーグが主催する入団テストを受けることを勧めた。
父親の顔を知らず、自ら命を断った母親を持つナオキ君。
預けられた親戚の家を飛び出してふきのとうにやってきた。
澤田さんは夢を持ってもらいたいという。
プロ野球選手を目指していたナオキ君は経済的な理由からずっと夢を諦めて生きてきた。
今回の入団テストは澤田さんが用意してくれた絶好のチャンスだ。

澤田さんはかつてサッカー選手を目指した自分とナオキ君を重ねていたのだ。
ショウタ君と同じくガソリンスタンドで働くナオキ君は正社員になる一歩手前まできていた。
正社員になる条件は運転免許の取得。
澤田さんは喜んで教習所に通うために組んだローンの保証人になっていた。

2010年12月4日福岡
入団テスト
四国アイランドリーグplusトライアウト
合格すれば最低でも月額10万円は保証され、住まいも与えられる。
澤田さんも緊張した。
ナオキ君が人生で初めて立ち向かうハードルだ。
50m走、ピッチングとテストは続く・・・
そしてテスト終了後その場で1次合格者の発表。
ナオキ君の名は呼ばれなかった。
澤田さんはナオキ君が捨て鉢にならないかが気がかりだった。

その後、ナオキ君は野球の練習に専念したいとガソリンスタンドを辞めた。
それから2ヶ月、ふきのとうから姿を消してしまった。
あとには滞納した家賃、携帯代など合計で30万の借金が残されていた。
苛立ちを感じる澤田さん。
ふきのとうには教習所から督促の電話が毎日かかってきた。
2週間ほどたってから居場所がわかった。
パチンコ店で働きながらその寮で暮らしていたのだ。
ナオキ君に裏切られた悔しさをぶつける澤田さん。
父親を知らないナオキ君にとって澤田さんの愛情は重荷だったのだろうか?

ふきのとうに来て半年近く、ショウタ君が変わり始めていた。
いつも食事は独りきり、以前に比べて一層無口に。
そして彼もふきのとうを飛び出した。

あれから1週間、ショウタ君本人から連絡が入った。
生活費を使い果たした結果のSOSだ。
澤田さんは当面の間、アパートを借り、差し入れに行くことにした。
そんな甘えた生活を続けていたショウタ君。
しばらくして夜の街にショウタ君の姿が。
髪を短く刈り上げ、悪い仲間とつるんでいた。
アルバイトで稼いだお金もゲームやカラオケに消えているらしい。
貯金も使い果たした。

毎月ショウタ君に手渡すのは5万5千円。
その際クギを刺すのだが、言葉の端々に仲間の存在が見え隠れする。
どうやらその仲間に金を渡しているようだ。
現金を受け取って去っていく背中はどこか怯えているようでもあった。

そして事件は起きた。
ショウタ君が仲間に殴られ、背中には生々しい火傷の跡。
澤田さんはショウタ君を連れ、警察に。
理不尽な暴力から守ってやらねばいけない。

許して許して許し抜くこと。絶対に見捨ててはいけない。
人は1人では生きていけないのだから。
澤田さんは身を持ってそれを知っているのだ。

時折足を向ける馴染みの居酒屋。
つかの間の息抜きだと思ったが、いつの間にか話題は若者の事。
この日はナオキ君の誕生日だった。
今どうしているのか?
思い立っておめでとうのメールを出してみた。
返事はすぐに来た。
まるで澤田さんのメールを待っていたかのようだ。
帰り道、ナオキ君のアパートに寄った。
20歳の誕生日だ。

4月になり、ナオキ君は人材派遣会社に登録、
ショウタ君も新たな道を歩み始めた。

誰にでも必ず春は来ると信じているからつけた名前「ふきのとう」
冷えて凍える魂を温める夫婦の日々はこれからも続く。





澤田さん夫婦のNPOとしての活動を追った番組でした。
両親がいないという気持ちは、
普通の家庭で育った私たちには理解できないことだと思います。
もし、自分に両親がいなかったらなんて想像するのすら困難でしょう。

両親をなくして育った子供たちには、
他人にどれだけ頼ってよいのか、信用してよいのか
その距離感を身につけるのが難しいのではないでしょうか?

澤田さん夫婦の献身的な活動には頭が下がります。
同じ環境で生きてきた者だからわかる苦労や辛さを
共に共有し、受け入れ、やさしく包み込んでいく。
これからもがんばってください。



















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2012年04月18日

テレメンタリー2012 3・11を忘れない〜被災した球児の一年〜

津波で両親を失い、故郷を離れた一人の学生。
高校野球がつないだ仲間との絆。
ある高校球児の一年を追った。

岩手県で最も被害の大きかった陸前高田市。
1500人以上の命が失われた。
岩手県立高田高校。
3階立ての校舎は全壊。生徒、教師合わせて23人が犠牲になった。
野球部の室内練習場は一時的に避難所となり、300人が身を寄せた。
その後、グラウンドは野球をする場所ではなくなった。
仮設住宅が建ち、被災者の生活の場となった。

そんな高田高校の野球部に所属していた管野明俊くん(18歳)
呉服屋を営んでいた自宅は全壊、父親の遺体は震災後一週間で見つかったが、
母親の死が確認されたのは夏のことだった。
彼はチームに別れを言えぬまま陸前高田市を後にした。

2011年5月
彼は栃木にいた。
伯父の家に弟と一緒に身を寄せていた。
彼が新しく通っているのは栃木県立小山高校。
野球をやめようと思ったが、新しい仲間とともに最後までやりぬくことを決めた。
家族を失った悲しみを心に押し込めるように笑顔を浮かべる。
伯父の橋本正一さんは、
昔から明俊くんは誰とでも明るく接する人に気をつかう子だったと語る。
そんな彼のことを思い、涙を流す橋本さん。

明俊くんに今の思いを聞いた。
もう高校生なんだから自立していかないといけない。
そして自分がしっかりして周りを明るくしなければという気持ちが強い。
辛い時もあるが、もっと辛い人もいる。
自分はまだ幸せだから弱音は吐けない。
そんな気持ちで毎日を過ごしていたのだ。

2011年6月
夏の大会を前にした練習試合が行われた。
この日、明俊くんは初めてマウンドへ上がった。
実はこの試合、夏の大会に出られない3年生の事実上の引退試合だ。
彼は補欠チームのエースとして9回を一人で投げきった。

2011年11月
明俊くんは高田高校に呼ばれ、岩手に帰ってきた。
高田高校の仮校舎は大船渡市立根町、
そこでの引退試合に招待されたのだ。
再びユニフォームに腕を通し、笑顔が広がっていく。
試合の終盤、絶好のチャンスでレフトの頭上を越える満塁ホームラン。
野球を続けてきてよかった。
そう思うとともに、ふるさとへの思いが強くなった。

2012年3月
小山高校の卒業式。
明俊君の表情は晴れ晴れとしていた。
同じ日、高田高校でも卒業式が行われた。
その様子がメールで明俊くんの元にも届けられた。
卒業後は新潟の大学に進学が決まった。
4月から伯父の家を出て一人で暮らすことを選んだ。

翌4月
新潟の大学。
卒業を機に彼は初めて自分と向き合った。
最終的に陸前高田に戻って復興させるのが彼の願いだ。


両親を亡くしても健気に生きる明俊くんの1年を追った番組でした。
震災後、ドキュメンタリー撮影部隊は各地へ散り、取材対象を決めて
今まで撮影を継続していたのでしょうね。
ボランティアや被災者の方々には決して良い目で見られなかったでしょうが、
彼らの取材のおかげで、我々視聴者は1年経った今でも
震災を風化させずに済むのではないでしょうか?






















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2012年04月13日

NONFIX 〜出口の見えないアラフォー芸人〜

「3ガガヘッズ」
東京渋谷のワハハ本舗に所属する3人組の芸人だ。
2002年に3ガガヘッズを結成。
結成8年目の自称パフォーマンスグループである。
カラフルな全身タイツで、三位一体の芸を見せる。
名前の由来は英語の"GAGA"=おめでたい、バカな奴ら
メンバーは
リーダーのトニー淳(36)
パーマイ雅晴(40)
正源敬三(40)
出口の見えないアラフォーだ。

毎月の収入はおよそ4万円、あの手この手で毎日を生き抜いている。
アルバイト、ひたすら先輩におごってもらう生活、ヒモ・・・
逃れられない借金という現実、3人合わせて1000万円にもなる。

そんな彼らが一発逆転を賭けた挑戦をした。
スコットランドで行われる芸人の祭典「FRINGE(フリンジ)」
世界3大コメディアンフェスティバル。
FRINGEはかつてBLUEMANやがーまるちょばを輩出したイベントで、
そこには世界中から多くのプロモーターが次のスターを求め集まってくる。
この大会へ殴りこみをかけようとというのだ。

海外用のネタを初披露するのは7月12日静岡で行われる単独ライブ。
半月後に迫ったスコットランドの祭典で使うネタがどう評価されるのか気になるところだ。
セリフはすべて英語だったものの感触は上々で一安心。

■FRINGEまであと22日
3人はワハハ本舗の全体公演に参加していた。
リーダーのトニーは公演の空き時間も必死に台本を書いていたが、
他40歳コンビ2人にはあまり焦りはない。
劇団の公演はいつも客でいっぱい。
これは彼らにとっても大きな収入源である。

■FRINGEまであと17日
正源宅。
上京してから10年間、6畳一間家賃3万5千円の部屋に住んでいた。
彼の悩みの種は借金。
総額300万。
もちろん家賃も払えないので大家さんへの謝りの手紙も毎月かかせない。
彼の収入は毎月4万円。
週に5日はアルバイトでしのぐ。

7月23日、香川でのワハハ公演の合間に実家に帰る。
1970年大阪生まれ
離婚によって家計を支えることになった母にかわり、育ててくれたのは祖母だった。
家族は彼の活動の記録を全部残している。
高校卒業後松竹芸能の養成所へ入るも1年で退団。
その後、20歳で自分の劇団を立ち上げ、作、演出を自ら行った。
しかし8年で解散。
2000年にワハワ本舗に拾ってもらった。
それから12年、いまだに家族に恩返しできていないのが負い目だ。
地元での公演は彼にとっての精一杯の親孝行だ。
家族の前で少しだけ胸をはれる1日。

■FRINGEまであと10日
ワハハ本舗にて海外公演のネタを喰始がチェック。
喰の顔が曇る。
3ヶ月練習してきた自信のネタにダメ出しされたことで声を失う3人。

■FRINGEまで残り1週間
途方にくれている3人。
トニーはその夜先輩に話しを聞いた
手一杯だというトニーに対し、甘いんじゃない?と先輩は言う。
トニー宅。
部屋は家賃5万円。
ワハハのファンである大家さんが8万円の家賃を5万円にまけてくれた。
1974年鹿児島出身。
大学卒業後ワハハ本舗へ。
お手伝い期間を経て2000年に正式入団。
その後売れないまま10年。
やはり彼にも借金があり、その額200万円。
彼は節約術に長けている。
夕飯は毎日のように先輩、営業先のお得意様に奢ってもらっている。
手帳には仕事の予定よりも食事の予定がびっしりだ。

パーマイの自宅。
家賃3万22年暮らしている。
漫画やフィギュアを集めている。
1970年静岡生まれ、高校卒業後父親のコネで入社するも1年で退社。
その後1990年ワハハ本舗へ。
5年前に3ガガヘッズに入団。
彼の借金は400万。
休みの日は彼女の自宅へ。
なんと1年前に彼女からのプロポーズがあったそうだ。
しかし、まだ売れていない彼には結婚の意志はない。

■FRINGEまであと4日
3人にサプライズが。
喰や先輩からの思いがけない餞別。
それとともに喰のはからいで公演の最後には観客からエールをもらった。

■出発の日
通常は12時間かかるが、貧乏芸人の彼らは格安便を使い31時間かけていく。
能天気な40代2人はまるで旅行気分。
トニーは準備に追われる。
スコットランドに1ヶ月滞在するための生活費は4万円。
泊まるのはおよそ6畳の8人部屋1泊1800円。
FRINGEはスコットランドのエジンバラで行われる。
2000組のパソーマーが200箇所を超える劇場で1ヶ月に渡りステージを行う。

■初日
3人の評価は微妙だ。
観客も少ない。
翌日プロモーターに売り込みをかけるトニー。
しかし、反応は薄い。

■1ヶ月に渡りステージを行なってきたFRINGEが終了
やはり無謀だったのか。

FRINGEから数ヶ月後
彼らの姿が・・・
大道芸の日本一を決める大会「芸王グランプリ」。
彼らに場違いなのはよくわかっているが参加した。
結果はなんと優勝!!
独創的なアイデアを評価されたらしい。
横浜での路上ライブも開始。
彼らの道は茨の道だが、なにか吹っ切れた感がある。
この日のギャラ1人724円。
やはり現実は甘くない。

40歳の決断。
タイツは絶対脱ぎません。




ワハハ本舗の売れない芸人を時系列で追った今回の番組。
何年か前に見たものと全く同じ内容だったので再放送です。
番組中には年の表示はなく、月しか表示されなかったので気が付かない人もいるかもしれませんね。
なので現在の彼らの年齢も+2、3歳でしょう。

最近はそこそこ名前を聞くようになったので、
彼らもこの当時よりは全然マシな生活を送っていると思います。
以前もワハハ本舗の芸人に密着した番組の感想を書きましたが、芸人の世界は非常に厳しいようですね。
売れるのはほんの一握り、売れない芸人はどうしているんでしょう。
番組中の正源敬三氏の言い訳にまみれた発言の数々には正直腹が立ちました。
40歳になって努力するのを諦め、それを注意されたら言い訳をする・・・
年齢を重ねて上達したのは言い訳をする技術だったのか!
こう書いている私自身もアラフォーなので、彼を反面教師として
自分を戒めて生きていこうと感じました。


















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posted by ドキュメントまにあん at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | NONFIX | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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