2012年04月29日

NONFIX 東北の味を世界に!料理番組のカリスマ結城摂子の挑戦

料理番組を影で支えているのがフードコーディネーターという仕事。
番組の撮影で使う食材や食器を手配する職業だ。
その中で草分け的存在でカリスマと呼ばれている
結城摂子

結城さんの名前を世に知らしめたのは
1993〜1999年まで放送されたフジテレビ「料理の鉄人」
これを気に多くの料理番組を手がけ、グルメブームの立役者となった。
番組に出演する料理人にもズケズケと注文することでも有名だ。

その仕事ぶりを目にしてきた服部幸應は
「フードコーディネーターという言葉は彼女から生まれたようなものいろんな料理人が勉強になった」
坂井宏行は
「彼女は料理人に比べいろんなことを経験していていろんな事を知っているその知識はすごいと思う」

そんな結城さんはフードコーディネーターの枠を超え、新たなことにチャレンジしようとしていた。
7月、彼女の姿はスペインのバルセロナにあった。
その理由とは
バルセロナから車で2時間走ったところにある「エル・ブリ」というレストランを訪れることだ。
エル・ブリは世界のトップシェフや評論家の投票で決定する「世界のベストレストラン50」で1位最多獲得。
その料理を味わえるのは1日50人にもかかわらず、年間200万人から予約申込みが入るまさに
世界一予約の取りづらいレストランだ。
この店を世界位置に導いたのは料理長のフェラン・アドリア。
彼の作る料理は30品ほどで構成され、そのどれもが従来の料理の概念を覆すような斬新なもので
独創的な調理法で常に世界の注目を浴びてきた。
そんなフェランと結城さんの出会いは今から11年前、
知り合いから「料理の革命が起きている」と聞き、食べに行ったのが始まりだった。
次元の違う世界が生まれている 結城さんはそう思った。
「料理の中にピカソが生まれた」

フェラン・アドリアは言う
彼女は家族みたいなものです。彼女の日本料理の知識から多くの影響を受け、すべてのものに驚かされた。
我々が初めて見る世界だった。

そして去年
フェラン・アドリアは7月一杯でエル・ブリを閉店することを発表した。
そのニュースは世界を驚かせた。
結城さんがスペインを訪れた訳はその最後に立ち会うためだった。
バルセロナにある馴染みのレストランで結城さんは服部校長を含む料理人達と合流した。
実はエル・ブリ最後の夜、貸切にして楽しもうという計画なのである。
昼食後移動。
2時間かけ、ロサスという街に入る。
フランスの国境に近く、両方の国から観光に訪れるのんびりしたリゾート地である。

結城さんは世界一である彼、フェランにお願いしたいことがあった。

スペインに来る前に尋ねた岩手県釜石市。
そこでの震災の写真を見せたい、そしてここの食材を使ってもらいたい。
フェランが使った食材は世界へ広がっていく・・・
彼が今、東北の食材を使えば世界に広まり、復興につながるはず。

結城さんがここで選んだ2つの素材は
酒粕と黒ニンニクだ。
まだ日本以外には知られていないこの食材、フェランはどう料理してくれるのか?

いよいよ閉店の日
いざエル・ブリへ。
結城さんは店の従業員やフェランと久しぶりの再開を果たし、いざキッチンへ。
そして今回の願い事をきりだした。
さすがの結城さんも緊張気味だ。
まず写真を見せた。
結城さんの話を黙って聞いていたフェラン・アドリアがついに口を開いた。
「すぐにでもこの話を世界中にするよ。
今までも日本の食材を使っていたけれどこれからはもっと増やすし私もできるかぎり協力する」

さっそく食材を披露。
酒粕をスプーンに取り、口へ。
第一印象は酒の味、柔らかいご飯のようなアーモンドのような味、アーモンド風味の柔らかい米、
マジパンみたいだ。
黒ニンニクはマロングラッセみたいにしようか?酒粕はシャーベットにして、コルネに入れよう。
彼からは次々とアイデアが出てくる。
どうやら気に入ってくれたようだ。

ディナー4時間前。
下ごしらえが始まった。
スタッフの数は総勢50人。
客席の数も50なのでお客さん一人に対して一人のシェフがつく計算になる。

キッチンでは東北の食材の試作がはじまった。
まずは黒ニンニク。
グラッセを作ってみる。
普通グラッセを作るのには砂糖に漬け込むため、多くの時間を必要とするのだが、
ここではマニトールという特別な液体を使っているため、瞬時にできあがる。
結城さんが試食、コショウかショウガを加えてみたら?と世界的シェフ達に対してもアドバイス。
結城さんのアドバイスにフェランも納得。
続いて酒粕。
水とまぜ、かくはんする。
完成したのはクリーム状のペースト。
するとフェランが液体窒素を使ってジェラートを作り始めた
アルコール分が強いので液体窒素でなければ固まらないのだそうだ。
続いて器づくり。
オブラートを使う。
海苔とキャラメルの粉をオブラートにふりかけ、オーブンに入れた。
20秒加熱後くるくると丸めると容器が完成した。

フェランは今夜特別な仕掛けを考えていた。
日本から大きな影響を受け続けてきたので「日本へのオマージュ」ブロックを作るという。
エル・ブリはもともと料理の数が多いことで有名だ。
さて今夜の品数は?
44か45皿を予定しているという。

そして夜7時。
ここではまだ昼間のような明るさだ
いよいよディナーが始まる。
さっそく食前酒が登場。
■1.モヒートとカイビリーニャ
さとうきびを蒸留してつくるラムベースのカクテルをさとうきびに染み込ませた一品。チューチューと吸って飲む。
■2.モヒートのホットドック
メレンゲを凍らせたエスプーマでパンの形にし、中に凍らせたモヒートが入っている。
■3.球形グリーンオリーブ
オリーブを液体にして表面だけを固めたものだ。
■7.パルメザンスティック
■8.パルメザンのマカロン

次々と見たことない料理が続く
■9.ゴルゴンゾーラの風船
ダチョウの卵かと思いきやゴルゴンゾーラを風船のように固めたもの。
■12.フラワーペーパー
わたあめに花を散りばめ、和紙でおしつぶしたもの。
エル・ブリには日本から持ち込んだわたあめ製造機もある。

コースが始まって1時間でおよそ15品が終了。
ここからはお客さんを移動させ、日本へのオマージュが始まる。
■16.味噌汁の球形ラビオリ
スプーンに乗った小さな一品。周りを固めた味噌汁だ。豆腐ものっている。
■19.醤油のマッチ
固めたスティック状のマニトールに醤油とわさびをいれたもの。
日本人には思いつかない一品だ。
■21.ティラミス
泡状の豆腐に粉末の醤油をかけ、横に八丁味噌をそえたもの。
和風のティラミスだ。
昆布と鰹でとっただしとともに食す。

いよいよ東北の食材が登場
■25.酒粕のコルネット
まるで手巻き寿司。
チョココルネならぬ海苔のコルネだ。
甘い海苔の中にご飯に見立てた酒粕のジェラートが入っている。
中にイクラが入っていた。
あの短い時間でフェランがアイデアを追加してくれた。

■26.青森県産ニンニクのグラッセ
プルーンのようなフルーツのような味。

ここまでで26品
ここからは一変ヨーロッパ風味が続く
■40.ウサギの人形焼
■41.ジビエのカプチーノ

終盤にさしかかると肉料理に
ここまでくるとさすがに皆お腹いっぱいになってきた
ここからはデザート
■44.ニッポン池(壬生へのオマージュ)
今回の日本からの客である石田さんへ向けた一品。
石田さんはフェランに日本料理の奥深さを教えた人物。
来日した際は必ず石田さんの店「壬生」を訪れる。
まるで薄氷のように薄く透明なものの上にパウダーが乗っている。
■45.ヨーグルトのブリニ
■46.フィリピノス
■47.ガラスのコーラ
■48.リンゴのバラ
■49.チョコレートボックス
最後は宝石箱に並べられた15種類のチョコレート。

結局フェランの宣言した45品を超えていた。

フェランは言う。
これが私の日本への恩返しだ。
他のお客さんも「今年は日本を感じ入る」と言ってくれている。
別にマーケティングを考えて作ってはいない。心からの気持ちだ。
エル・ブリは日本を応援し続ける。

そして閉店。
世界中の報道陣が集結。
今語られる閉店の理由とは?

彼の構想ではこの地に新しい料理を研究する研究所を作り、
世界の料理人に向けて情報を発信するエル・ブリ財団を作るのだという。
自分たちの創造性を使って社会に還元したいのだ。

日本に帰ってきた結城さん。
日常の仕事に戻る。
これからも日本と世界を料理でつないでいく。


今回も再放送ですが、初見だったのでレビューします。
映像の中のフェランの作る料理は正直食指の動くものではありませんでした。
あまりにも斬新すぎる故、味が想像できないからでしょう。
しかし、この発想力が世界を動かし、リードしてきたんでしょうね。
この文章だけではどんなものか伝えきれないのが惜しいです。

番組の過剰な演出もあるのかもしれませんが、
世界一のシェフに日本の料理はこれだけ影響を与えていたことに驚きました。
結城さんの知識によってスペインと日本の以外な結びつきもわかりました。
オジャ→おじやはなるほどなぁと思いました。
イベリコ豚の前足と後ろ足で値段が違う理由とか、結城さんの知識は確かなものです。








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2012年04月27日

テレメンタリー2012 夫の手は捕まれていた -秋田市弁護士殺害事件 遺族の戦い-

2012年3月21日
遺影を前に線香を上げる女性。
この日57歳になるはずだった津谷裕貴(つやひろたか)さんに手を合わせる妻の良子さんだ。
津谷さんはなぜ命を落としたのか
良子さんたち遺族は犯人とだけではなく、警察とも向きあわなければならなかった。

弁護士だった津谷さん。
悪質商法など消費者が被害にあう問題に30年に渡り取り組んできた。
良子さんとはダンス教室で知り合い、1982年に結婚。
4人の子供を授かった。
29回目の結婚を祝った1週間後、2010年11月4日
津谷さんは自宅に押し入った男に刺され殺害された。
津谷さんを殺害した罪に問われている男、
菅原勝男被告。

今でも事件を起こす前の菅原被告の鮮明な映像が残されている。
2010年に離婚した際に財産の配分をめぐり、元妻の代理人であった津谷さんを恨んでいたと供述。
凶器の枝切りばさみ他、拳銃なども持ち込んでいた。

弁護士が殺害される。
この事件が投げかけたのはこれだけではなかった。
警察官が最悪の結果を招いてしまった疑いがあるのだ。
現場に駆けつけた秋田県警察機動隊の2人ははじめ、菅原被告ではなく、
津谷さんを取り押さえていた。

現場には良子さんも居合わせていた。
言い争う声を聞き、別室から110番をした良子さん。
部屋から出て、菅原被告と対面すると応接室に引きこまれそうになった。
手を振り切り、勝手口の戸を開こうとしたところ背後から拳銃を突き付けられた。
良子さんはとっさに犯人の腕に掴みかかる。
津谷さんも加わり、3人で揉み合いになったところで勝手口から警察官が現れた。
良子さんだけが引き離され、2人は廊下へ連れだされた。
良子さんが追いかけるとそこには左手に拳銃を持った津谷さんを取り押さえる2人の警察官がいた。
向かいの応接室からは刃物が見えていた。
良子さんは最後まで見ていなかったが、津谷さんは取り押さえられ、身動きが取れないまま刺されたのではないかと考えている。

県議会でも県警幹部を呼び、原因の究明が行われた。
そこでは当初、拳銃を持っていた津谷さんを犯人と勘違いして取り押さえたことを認めたものの
津谷さんが自分ではないことを言うと2人の警察官はすぐ手を離したと主張した。
その後、犯人と被害者は2人で寝室へ向かった。
拳銃を持っている人物が被疑者であるという認識は間違っていないので誤認ではないとも主張した。

良子さんの主張は少し違っている。
警察官が来た時は津谷さんと良子さん2人で犯人の腕を押さえていて、
警察官が来た時にはまだ拳銃は犯人の手の中にあったという。

良子さんは津谷さんの弁護士仲間と事件の真相を求め立ち上がった。
メディアを招いて現場を公開し、当時の再現を行った。
仮の役者を立て、良子さんの主張を完璧に再現した。
津谷さんの「俺は被害者だ犯人はあっちだ!」
良子さんも「あっちだ!」と

秋田県議会教育公安委員会では県警は力不足は謝罪したものの、良子さん側の矛盾点を追求。
そして、犯人と取り違えたことは認めなかった。
現場で菅原被告を取り押さえなかったのは止むを得ない。
現場でただちに凶器を叩き落とすのは非常に危険を伴う。
まず体捌きをして間合いを図るのが当然なので、刃物をかわすのは止むを得ないと主張した。

「明るい警察を実現する全国ネットワーク」を主催する
清水勉弁護士は言う。
警察幹部のメンツを保つ気持ちが1番に前にでてきてしまうので現場がどうであれ、都合の悪いことは公にしない。
元警察官や市民オンブズマンなど警察をめぐる問題の解決に取り組む清水弁護士。
現役の警察官相談に応じた経験から秋田県型の対応に問題があると指摘する。
弁護士である津谷さんは現場で「自分は弁護士だ」と主張していたのだから、
取り押さえる必要はなく、ただちに犯人の確保につとめるべきだったと。

事件を踏まえ、秋田県型は装備や訓練を見直し、通報を受理する体制なども強化した。
しかし、矛盾は残されている。
秋田弁護士会シンポジウムで清水弁護士は語る。
体捌きと避けるやかわすは全く質が違う。
県警本部長は同じものとして扱い、議会もそのまま聞き流してしまっている。
体捌きがなんであるかをわかっていないのだ。

元兵庫県警察官の飛松五男さんを招き、
体捌きを実演してもらった。
体捌きとは避けるわざではなく、攻撃なのだ。
飛松さんは言う
「警察がちゃんとしていたら罪は起きていない、まして津谷さんは亡くなっていなかった。」

朝、子供たちのお弁当を作ったあと新聞を開く。
どうしても殺人事件に目が行ってしまう。
現場に居合わせた良子さんに対する犯罪は立件されていない。
「津谷弁護士の会」の吉岡弁護士は言う。
一番に現場に居合わせたその良子さんの存在が全く無視されているのはありえない。

良子さんと弁護士仲間は菅原被告を殺人未遂罪で刑事告訴した。
しかし秋田地方検察庁は被告から供述が得られないことや客観的な証拠が不十分なため、不起訴とした。
菅原被告は津谷さん宅に押し入った際、「旦那とアンタを殺しに来た!」
と言われ、拳銃を突き付けられたのにもかかわらずだ。

遺族は事件から1年以上経った今も自宅の殺害現場にかかっているビニールシートを外していない。
良子さんは事件後も自宅で生活している。
真実がわからないうちはここから出られないのだ。

事件から1年
秋田地方裁判所
菅原被告の裁判が行われた。
被害者参加制度を使い良子さんは息子たちを連れて法廷へ向かった。

被害者参加制度:事件の被害者や遺族が裁判に参加、直接意見を述べたりできる制度

法廷に姿を表した被告は良子さんとも警察とも違う持論を展開した。
自分が倒れ、警察官に抑えられているところへ津谷さんが覆いかぶさり、刺さったと主張。
遺族への謝罪や反省の言葉はなかった。

良子さんは被告をにらみつけていたが、被告のほうが更に強く睨んできたため恐ろしくなったという。

裁判では現場に駆けつけた2人の警察官も証言台に立った。
2人の証言はこれまでの秋田県警の主張とかわりなく、
良子さんの証言を食い違ったままだった。
津谷さんがどのように刺されたのかも明らかにされなかった。
審議は6日間行われた。
証言台に立ち、最も重い刑を望んだ。
検察官は無期懲役を求刑したが、判決では懲役30年となった。
自宅へ帰り、遺影に向かって手を合わせつつ涙ぐむ良子さん。
力が及ばなかった・・・

その後、検察側、弁護側共に判決を不服として控訴した。

判決では警察官らは被害者を犯人と取り違えて取り押さえたと認定している。
しかし秋田県警はその後の取材に対し、「これまでの見解と相違ない」と態度を改めようとはしなかった。

裁判のあと、良子さんは次の戦いに向け、自宅にある証拠を調べ直した。
良子さんは家族の思い出と事件の記憶が残るこの家で今も暮らしている。




何の落ち度もない家族が1人の男によって地獄に突き落とされる。
酷い事件です。
しかも結果的には警察も殺人に加担してしまっている。
自分達のプライドを守るためだけに嘘の主張を繰り返す。
このような事件を見ていると警察が信用できなくなります。

この事件はネットで調べると書き込みが多数見つかるのでかなり有名なんですね。
その中で見つけたのですが、
「秋田県警は連続児童殺人事件(畠山鈴香受刑者の事件)で、初動捜査を誤り、
米山豪憲くんが殺されてしまったという過失を犯した。」

あれから反省してまともな組織になっているかと思いきや、
何も変わらなかったんですね。
秋田県警による次の被害者がでないよう祈るばかりです。


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2012年04月25日

NNNドキュメント'12 7つの宝と生きる ALSの母と家族の3000日


長崎県平戸島
40世帯ほどが軒を連ねる小さな港町。

光代さんは夫と6人の子供、7つの宝に囲まれたお母さん。
自宅には子供帯が集まって相撲をとる土俵がある。
明るくて面倒見がいいと近所でも評判だった。
取材を始めたのは9年前の2003年。

この翌年、病の兆候が現れた。
好きなカラオケで声がでない。右手に力が入らない。
検査の結果、思いもよらない告知を受けた。
2005年9月20日、ちょうど50歳の誕生日だった。
「あなたはALSです。3年で動けなくなります」
のどが詰まり、人工呼吸器をつけるようになり、やがては死に至る。
そう聞いて光代さんは失神した。

ALS:筋肉への神経伝達がとだえ、手足・のど・舌呼吸に必要な筋肉が動かせなくなる難病
原因も治療法も見つかってはいない。


家族に迷惑をかけるくらいならいっそのこと・・・と思ったこともあった。
でも母として子供たちの成長を見守るため、このまま死ぬわけにはいけない。

2007年8月、告知から2年。
声を失っても生きていけるように人工呼吸器をつけた。
激しい痛みとともに筋肉が萎縮する。
光代さんは顔の筋肉も動かせなくなった。
母のいなくなった台所に立つのは長女の加代さん。
朝4時半に起き、お弁当を作る。
みんなが自分のできることをすすんでやってくれる。
そして家族は泣かないと決めた。一番辛いのはお母さんなのだから・・・
光代さんはわずかに残された噛む力を利用し、パソコンで文字を打つ。
画面を動くカーソルをチューブを噛むことで止め、文字を選ぶ。
1つの文字を打つのに2分以上かかることもある。
気の遠くなるほどの時間をかけて打ったメールの相手は末っ子の十有人(そうと)くん。
受験を控えた十有人くんへの励ましのメールだ。

2010年1月、告知から5年。
離れて暮らす次男と三男が帰ってきた。
母は子供たち1人1人へパソコンの画面を通してエールを送る。

2010年3月
十有人くんは第1志望に合格した。
何よりも先に母に報告した。
携帯で撮った受験番号を見せると母は涙ぐんだ。
パソコンの画面には「おめでと」の文字が。
光代さんは月に1度、一時時帰宅できるようになった。
母がいると家の空気が和む。
窓の外には家族から母へのプレゼント、
それは地域の子供たちの相撲大会だった。
光代さんは夫の治夫さんとともに新たな挑戦を始めた。
それは講演会の開催。
病気になった悔しさや、母としての思いを多くの人に伝えたい。
この日は長女の加代さんが母の文章を読む。

2012年1月
新しい年を向かえた石田家に結婚した長男が娘を連れてやってきた。
光代さんはおばあさんになったのだ。

2012年2月
パソコンを打つためにチューブを噛み続けた光代さんの歯に異変が起きていた。
下側の歯が内側に曲がってしまって噛み合わなくなってしまっているのだ。
そこで理学療法士の大石さんはマウスピースを少し改良した。
文字を打つのが以前より遅くなったもののこれでまた家族に思いを伝えられるようになった。

2012年4月
この春、次女の寿代(ひさよ)さんは家を出る。
福岡にある夜間の専門学校に進学する。
それは理学療法士になるためだった。
旅立つ娘へ母からのエール。なんと絵文字も入っている。
別れを告げ、娘の出ていった病室。
残された母の目に涙が浮かぶ。
4年後寿代さんは夢を叶え、地元に戻ってくる予定だ。

光代さんは今日も思いを伝える。
7つの宝と新たに生まれた宝のために・・・


取材日数3000日とは、ひたすら驚かされます。
そもそも病気になる前の光代さんを取材していたのは別の目的だったのでしょう。
石田家の肝っ玉母さんを題材にしたほのぼの感あふれるドキュメンタリー。
しかし取材を続けるにつれ、病が発覚。
取材は思わぬ方向へ・・・
番組中何度も映される光代さんがパソコンを打つ姿を見ていると涙が出そうになります。
全てを理解しているのに体を動かすことのできないのはさぞ悔しいでしょう。
しかし、光代さんは幸せものです。
やさしい夫と子供たちに囲まれ、孫まで生まれた。
これからも病気に負けずみんなを元気づけるメールを打ってください。

















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posted by ドキュメントまにあん at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | NNNドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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