2012年03月25日

テレメンタリー2012 3・11を忘れない よみがえれ!わかめの島


宮城県女川町出島(おながわちょういずしま)
昭和28年、女川町で日本初のワカメ栽培が行われた場所である。
番組は4年前にわかめ漁を取材。
人口499名
わかめ、ホヤ、ほたて、銀鮭などの養殖が盛んな島は収穫目前にして津波に飲み込まれた。

番組はわかめ養殖44年の
須田勘太郎さん(当時67歳)を取材していた。

震災後、島の安否が心配される中、
須田さんの無事な姿が新聞に掲載され、再び取材に走った。

震災から2週間後の3月25日、
須田さんに再会し、話を聞いた。
震災時、彼は島ではなく、女川で被災。
髪を切っている最中だったという。
当時の理髪店の場所に行ってみると、大きなビルが鎮座していた。
斜向かいにあったビルが流されてきたのである。

地震のあと、津波を警戒し、女川町生涯教育センターへ非難した。
最上階に非難しても迫ってくる津波。
屋上へ続く屋外はしごをつたい、なんとか屋上まで逃げた。
そのときの話を語る須田さんだが、途中で息が詰まって涙ぐんでしまった。

須田弘喜くん12歳
祖父母と暮らしていた家が津波にのみこまれた。
彼が通っていた小学校は閉鎖。

震災から3ヶ月後
彼は女川で祖父母と暮らしていた。
休みの日は祖父を手伝い、島へ戻った人達へ物資を届けていた。
彼の夢は島で祖父と一緒にわかめ漁をすること。

年が明け、学生たちが島へ戻る。
震災から1年ぶりだ。
今年卒業する島の学生の卒業式を出島で行いたいとの理由からだ。
卒業生もいずれはこの出島に戻って漁をするつもりだと語る。

島の若者たちは、銀鮭の養殖、ホヤの種付けと再び動き出した。
いずれはわかめの養殖も再開するつもりだという。

若い彼らに期待がかかる。

出島は特別に復興が進まない理由があるのだそうです。
女川の地形は特殊な形をしていて、
津波で飲み込まれたガレキは、全て出島の海岸へ溜まってしまうとのこと。
震災に遭われた方々には一刻も早い復興を望むのですが、
漁自体に果たして問題はないのでしょうか?
日本の太平洋側の海は例の原発事故により、
信じられない量の放射線が放出されているはずです。
それを無視して、ただ復興目的のために漁を再開するのは危険だと思います。
残念な話ですが私も今では海外産の魚を買うようになっています。
このあたり、もっと政府にどうにかして欲しいですね。














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posted by ドキュメントまにあん at 08:05| Comment(0) | テレメンタリー2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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